本研究では,音声に対するアプローチの認識論的立場をふまえた分類と,音声に対するアプローチの議論の課題を明らかにした。音声に対するアプローチは,(1)発音矯正(2)音声指導(3)音声学習支援(4)やりとりの場づくり,の四つに分類できる。発音矯正・音声指導・音声学習支援というアプローチは,規範的な日本語の発音をめざすという本質主義にもとづく音声観をもつ。やりとりの場づくりというアプローチは,自分らしい日本語の発音をめざすという社会構成主義にもとづく音声観をもつ。教育の内容と進め方については,発音矯正と音声指導というアプローチは教師が決めるという立場,音声学習支援とやりとりの場づくりというアプローチは学習者とともに決めるという立場である。音声に対するアプローチの議論の課題は,発音矯正・音声指導・音声学習支援という本質主義の音声観にもとづいた音声教育の範疇でのみ音声に対するアプローチの議論が活発化・多様化していることである。学習者の音声の多様性を尊重し合う社会を実現するためには,やりとりの場づくりというアプローチをふまえた議論,つまり社会構成主義的な音声観と音声教育理念を議論の俎上に載せるべきである。社会構成主義の立場に立って考えるということは,従来の考え方を捨て去ることではなく,新たな可能性を切り拓く試みである。そもそも社会構成主義の立場は,「自分自身の伝統の優位性を主張するための基盤を持たないので,他の伝統に関心を持ち,敬意を払うという姿勢が生まれる」(ガーゲン・J. K. & ガーゲン・M. 2018,p. 41)とされている。つまり,本質主義的にものごとを捉える人とも対話を生むことを重視している。したがって,発音矯正・音声指導・音声学習支援というアプローチとやりとりの場づくりというアプローチの溝を深めることは社会構成主義の立場から見ると本意ではなく,むしろこの二項対立の構図を乗り越えていくための包括的な視点をもつことに社会構成主義の意義がある。音声に対するアプローチの議論において,社会構成主義にもとづくやりとりの場づくりというアプローチでは,学習者の多様な音声観を包括している。つまり,規範的な日本語の発音をめざすことを一義的に捉えず,学習者が自分らしい日本語の発音を探し,構成し続けていく過程で,規範的な日本語の発音に触れることが必要であると捉える。その意味において,音声教育に分類される研究の成果は,学習者の音声的な文脈の理解の深化や方法の探求といった観点で,今後も貢献が大いに期待される。今後の課題としては,分析手法の精緻化と実践研究を挙げる。本稿ではそれぞれの音声に対するアプローチにみられる音声観と音声教育理念に現れる特徴語をもとに各文献を分類したが,今後はテキストマイニングソフト等を用いた量的な観点からの分析手法の精緻化が望まれる。実践研究に関しては,学習者と教師という二つの観点から,今後の課題を挙げる。まず,学習者が自分らしい日本語の発音を構成していく過程を描く縦断的な実践研究を課題とする。そして,本質主義的な立場に立つ教師が,やりとりの場づくりという音声に対するアプローチを理解し,実践していく過程を描く実践研究も課題とする。本研究の分類と課題の提示が,日本語の発音の多様性を尊重し合うことにつながり,多様性を尊重し合う社会の実現の一助となることを切に願う。6.おわりに67論文伊藤茉莉奈/音声に対するアプローチの分類とその課題
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