に教えるかということに主眼を置いていることがわかる。教育の内容と進め方を教師が決めるという前提がある点で,本質主義にもとづく教育の捉え方をしているといえる。4-3.音声学習支援に分類される文献における議論音声学習支援というアプローチの議論について,音声観の観点からは,規範的な日本語をめざしている論考がみられ,本質主義の立場に立っていると考えられる。たとえば,サイ(2017)はベトナム人日本語学習者の発音の「問題点」をまとめ,オンラインでの日本語教育が,こうした学習者の発音上の問題の改善やモチベーションに貢献すると述べている(pp. 58-60)。学習者の現時点での発音を問題のあるものと捉え,改善すべき一定の方向があると捉えている点で,本質主義にもとづく音声観であるといえる。また,千(2017)は学習者自身の目標は「目的や場面に合わせて伝わりやすい発音で話せるようになること」,つまり「音声を手段とする自己実現」であるとしている(p. 45)。これは 2□1 で述べたように,目的や場面ごとに伝わりやすい発音が存在すると捉えているという点で,本質主義にもとづく音声観であるといえる。一方,図 1 で示したように,発音矯正と音声指導というアプローチと,音声学習支援というアプローチの大きな違いは,教育の内容と進め方を教師が決めるのか,学習者とともに決めるのかという点にある。音声学習支援では,インターネット上のやりとりをとおして,学習者の自律的な発音学習を促すことをめざしている(たとえば,戸田ら 2017,木下 2017)。学習の内容と進め方を決めるのは教師と学習者であるという立場に立ち,教師は「学習者自らが日本語の音声をメタ的に捉え,内省し,言語化していくことにより,自律的に自分の発音をより良いものにしていく力を育成することを目指している」(千ら2014,p. 19)。また,戸田ら(2017)は,「リレー形式の「発音 BBS」を活用した音声教育実践の成果を,どのように学習者同士の主体的なコミュニケーションを活性化させたかということに焦点を当てて」(p. 116)述べている。学習者が自身の意志でコミュニケーションを活発化させたことを重視している点は,社会構成主義にもとづく教育の捉え方をしているといえる。一方で,「「自律」がとり上げられたのは,他でもないコミュニカティブ・アプローチであった」(三代 2009,p. 80)ため,社会構成主義のパラダイムとは区別して捉える場合もある。したがって,自律という語を用いている論考は必ずしも社会構成主義にもとづいているとはいえない。本調査で音声学習支援に分類された文献には,学習者の主体という語と自律という語が混在しているため,音声学習支援というアプローチの認識論的立場を明確にすることはできなかった。音声に対するアプローチの分類ごとの議論について,学会誌掲載論文を網羅的に整理した結果,四つの動向が明らかになった。1 点目は,音声と教育をテーマとする文献数が増えていることである。2 点目は,音声に対するアプローチは変遷しているというより多様化しているということである。3 点目は,やりとりの場づくりというアプローチに分類される文献はないということである。4 点目は,発音矯正・音声指導・音声学習支援という5.音声に対するアプローチの議論の課題65論文伊藤茉莉奈/音声に対するアプローチの分類とその課題
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