早稲田日本語教育実践研究 第11号
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p. 128)。それに伴い教師の役割も,学習者が持っている知識や常識などから効果的に聴解(p. 30)とし,音声にかかわるストラテジーの訓練方法とその効率に着目している。発音め方の決定権が教師にあるという捉え方は,本質主義にもとづいているといえる。4-2.音声指導に分類される文献における議論発音矯正というアプローチにおける議論では,発音が注目されることが多かったが,音声指導というアプローチでは「「理解可能なインプット」が言語習得に不可欠な役割を果たしている」(岡崎 1988,p. 86)とされ,学習者の聴解にも注目が集まった(西端 1993,能力を得られるようにする(當作 1988,p. 59,土岐 1988,p. 27)ことであると捉えられ始める。音声指導を受ける学習者の心理面にも意識が向き,「リラックスして練習できる」必要性が考慮された(三門・松下 1988,p. 132)。音声指導における問題意識は,学習者の不自然な発音がコミュニケーションの支障をきたすことである。たとえば,閔(1989)は「日本語のポーズをうまく使用できなかったり,理解できないとコミュニケーションに大きな支障を来たすことが予想される」(p. 180)とし,小熊(2001)は,学習者は「不自然な発音からしばしばコミュニケーションに支障をきたしている」(p. 110)と指摘している。こうした円滑なコミュニケーションを志向する研究の中には,日本語母語話者を評価者として学習者の発音を評価しているものが多くみられた(たとえば,劉 2010,渡辺・松崎 2014)。つまり,学習者の発音および聴取は評価される対象であり,評価するのは母語話者であるという捉え方をしている。学習者と母語話者による円滑なコミュニケーションをめざすにあたり,努力して自然な音声を習得するのは学習者であるという点から,本質主義にもとづく音声観が読み取れる。音声指導に分類される文献においても,音声教育理念には言及せず,新たな指導法を提案するという研究動向がみられた。特に,発音の指導に多く時間を割くことができないという現場の意見をふまえた,効率的な教育・学習を重視する論考がみられる。たとえば,宇津木(2004)は「効率的な音声教育を行なっていく上では,学習者の発音の特徴を理解することが重要である」(p. 96)としたうえで,「今後は本稿で明らかになった韓国人学習者の発音の特徴をふまえ,よりよい教授法が開発される必要があろう」(p. 106)と,教授法の開発に焦点を当てている。松崎(1999)でも,「語形や韻律規則に関する学習ストラテジー訓練が,どの程度効率的な習得につながるのか,今後の研究課題として興味深い」矯正と同様に,音声指導に分類されるこうした指導法にまつわる論考においても,教師が発音指導をし,学習者の発音を直すということが前提となっている。たとえば大工原(2008)は,「フィラーを発することは,リアルタイムで音声コミュニケーションを遂行するのに必要な技能の 1 つであり,日本語学習者に積極的に教授していく必要がある」(p. 53)とし,教師が学習者に対してフィラーの指導をおこなう必要性を強調している。また,中川(2001)は,日本語プロソディーの特徴を踏まえたフレージング指導の方法として,教師が学習者に対して「「へ」の字型イントネーションに注目した指導をすることで,日本語の自然なイントネーションを習得させる」(p. 142)ことを挙げている。指導法の開発や提案という性質上,教師の視点から学習者に何をさせるか,という表現になることは必然ともいえ,音声指導というアプローチにおいては学習者の視点よりも教師がどのよう64早稲田日本語教育実践研究 第11号/2023/55―70

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