4-1.発音矯正に分類される文献における議論分析対象となった音声と日本語教育をテーマとする文献の中で最古のものは,鈴木(1963)であり,発音矯正のアプローチに分類された。鈴木(1963)は,「発音の指導を突きつめていけば,学習者の母語にない,彼らが困難をする(ママ)音を習得させることである」とし,母語によって困難となる音が異なることを強調した(p. 8)。この点は,浅野(1966)によっても「外国語を学ぶ場合,最も困難を覚えるのは,母国語にない音韻組織の識別・発音であって,母国語によって学生各々が問題を異にしているわけですが,やはり総じて日本語学習者を悩ませるのは,長音・単音の区別,促音,拗音,撥音,ツスの区別,半母音等です」(p. 47)と指摘されている。母国語による困難点と,母国語によらない困難点があるとされている。こうした発音矯正のアプローチにおいて,学習者の発音は母(国)語の音韻体系に属すものとして捉えられ,日本語の習得の段階で「発音および聞き取りに現れる音の誤り」(加藤 1978,p. 68)として捉えられる。こうした音声観は,表1 に示した,誤用と正しさという音声観と合致している。さらに学習者の,誤用のある発音を矯正するためには,教師自身の発音の正しさも必要であるとされる。「正しい日本語の発音を学生にマスターさせるには,教師自身が正しい日本語の発音をするということは勿論最低限必要」(村崎 1976,p. 47)という考え方が通説であり,教師の発音も正しくあるべきだという認識がある。加えて,教師だけでなく日本語母語話者にも正しい発音で話すことを求める論考もある。趙(2016)は,日本の若い世代の話し方が学習者にとってよくない手本になることを懸念し,「日本の若者を中心に日本語母語話者にも語尾上げの話し方に注意してもらいたい」と述べている(p. 31)。学習者に限らず,日本語話者は正しい発音であるべきという,本質主義にもとづく音声観がみられる。発音矯正に分類される文献において,音声教育理念よりも方法論に着目した提言が多くみられる。たとえば梅田(1980)は,朝鮮語を母語とする学習者が特に問題をかかえるとされる音について「はじめから徹底的にはねる音の発音を矯正した方がよい」(p. 35)としている。さらに,「アクセントの高低とともにモーラ言語としての拍の取り方をはっきり認識させるように指導するのも一つの方法」(p. 35)であるとか,「発音指導法として,語頭の濁音は母音を前につけて言わせ,濁音が出せるようになったらその母音を取り除く,また語中の清音は清音節の発音をくり返して母音のあとでも同じ清音が出せるようにするという方法が有効である」(p. 36)というように,具体的な指導法を詳細に記述している。具体的な指導法に加え,指導を始めるタイミングについて提案している論考もみられる。たとえば吉光(1980)は,「日常的によく使う語については,一度誤ったアクセントが身につくと,習性となって後で直すのが大変となる。初級から中級への過渡期に,こういう習性は取り除くべきである。アクセント・ルールの導入は,このレベルで必要である」(p. 74)と主張している。こうした指導法にかかわる論考は,教師の視点から述べられ,教師が発音指導をし,学習者の発音を直すということが前提となっている。「毎回の授業で 10 分前後,学習者に単語を聴覚呈示し,単語の意味を考えさせる」(邱 2007,p. 115)や,「モデル音声と教師の判断に向けられている注意を学習者自身の音声と自己判断に向けさせる必要がある」(朴ら 2006,p. 7)とあるように,教師が学習者にはたらきかけ,何かをさせるということが,教育であると捉えられている。こうした教育の内容と進63論文伊藤茉莉奈/音声に対するアプローチの分類とその課題
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