早稲田日本語教育実践研究 第11号
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いう教育は,社会構成主義的であると捉えられる。ここでいう自分らしい日本語の発音とは,学習者が理想とする発音と現状の発音との間でせめぎ合いながら構成し続けていく,学習者にとっての自分らしさが表現されている発音のことである。音声教育理念とは,音声に対するアプローチをとおして何を実現したいかという抽象的な概念を指す。たとえば,音声に対するアプローチをとおして学習者にどのような日本語話者になってほしいかを指す。音声教育理念が明示されている先行研究は少ないが,音声教育理念を実現する教育とその進め方を決定するのは誰か,という点に認識論的立場が現れる。古賀ら(2021)によると,教師主導の学習・教育観は 1970 年代からみられ,1980年代からは学習者を学ぶ主体として捉え始め,1990 年代からは教師も学ぶ主体として捉え始めた(pp. 50-51)。教師が教え,学習者が学ぶという固定的な関係性の捉え方は,教師が日本語の正解を持つと捉える点で本質主義的であるといえる。学習者も教師も学ぶ主体であり,ともに学習を構築していくとする捉え方は,社会構成主義的であるといえる。2-1.音声教育という捉え方における三つのアプローチの分類1­2 で述べた音声教育という捉え方における音声に対するアプローチについて,伊藤(2021)は,理念・方法・対象の枠組みから「発音矯正」「音声指導」「音声学習支援」の三つに分類している(p. 135)。これらの枠組みは認識論的立場にもとづくものであると考えられるが,明確に立場が示されているわけではないため,本稿で考察を加える。発音矯正というアプローチでは,「学習者の誤った発音を正しい発音へと矯正することがめざされる」(伊藤 2021,p. 132)。ここでは,誤った発音および正しい発音という発音の捉え方をしている。学習者が合わせるべき規範的な日本語が客観的に存在し,練習を通じてその規範的な発音へと近づけていくという考え方は,本質主義的なものの見方である。また,教師が正しいと思う発音の基準に合わせて,学習者の発音を矯正していくということは,教師が教育の内容や進め方を決める役割を担っていると考えられる。音声指導というアプローチでは,「中長期的な視点で,学習者が日本語によるコミュニケーションを円滑におこなえるよう導くことがめざされる」(伊藤 2021,p. 133)。発音を不自然か自然かという基準で捉えている点で,本質主義的な見方をしている。また,教師が自然であると思う発音の基準をもとに学習者を指導していくという点でも,発音矯正と同様に,教師が教育の内容や進め方を決める役割を担っていると考えられる。音声学習支援というアプローチでは,オンラインの音声学習コンテンツの開発にともない,「いろいろな学習方法を学習者自身が主体的に選んでいけるようになることがめざされる」(伊藤 2021,p. 134)。ここでは,学習者の音声を「自己実現の手段」として捉えるようになり(戸田 2011,p. 63,千 2017,p. 47),必ずしも誤用があるとか不自然であるというように捉えることはしない(千 2017,p. 37-39)。どんな場面でも正しい発音や自然な発音があるという音声観ではなくなったといえる。そこで小河原・河野(2009)は,教師は「どのような場面でどのような人に対してどのような内容について話しているときにはどのような音声が必要とされるのか,といった具体的な例や基準を考えておくことも大事なこと」(p. 16)とし,場面ごとに必要となる発音の違いに言及している。しかし,その場面ごとに発音の「基準」があると捉えていることから,本質主義的な音声観にもとづ58早稲田日本語教育実践研究 第11号/2023/55―70

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