早稲田日本語教育実践研究 第11号
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1-3.本研究の目的と意義これまで認識論的立場から音声に対するアプローチの議論が進められてこなかったことにより,日本語教育における教師の役割の変容の議論が,音声という側面に着目した論考では考慮されていないのではないかということが本稿の問題意識である。そこで,音声に対するアプローチを,認識論的立場をふまえて分類する(2 章)。音声に対するアプローチを分類する際,以下の 2 点に着目する。音声をどのように捉えるかという音声観と,音声に対するアプローチをとおして何をめざすのかという音声教育理念,である。なぜなら,これら 2 点は認識論的立場と密接に関係しているからである。分類したのち,音声と日本語教育をテーマとする研究の動向から,音声に対するアプローチの議論の現状の課題を明らかにする(4 章)。本研究の目的は(1)音声に対するアプローチを,認識論的立場をふまえて分類し,(2)音声に対するアプローチの議論の課題を明らかにすることである。本研究の意義は二つある。一つ目は,認識論的立場をふまえて音声に対するアプローチを分類することで,これまで混沌としていた「音声教育」という語が指す意味の多義性を可視化することである。従来の音声教育研究の成果は,方法論にまつわる提言に偏っていたといえる。認識論的立場をふまえて教育を捉えるということは,その方法のベースとなる考え方,つまり学習者を規範的な日本語の発音に近づけるという教育理念を問い直すことにつながる。方法と結びつく教育理念を再考するために,認識論的立場をふまえることが必要である。したがって,それぞれの音声に対するアプローチを,音声観と音声教育理念という枠組みで分類することは,教師が自身の役割を考え,再構築していくうえで重要な手がかりとなる。二つ目は,音声に対するアプローチの議論の課題を明らかにすることで,今後の議論の発展が期待される方向を示すことである。1□2 で述べたように,本研究ではなぜ音声を教えるのか,音声を教えることがどのような意味をもつのかといった根本的な議論がなされていないことを問題視している。それゆえ,音声と日本語教育にまつわる研究を一度立ち止まって俯瞰し,課題を明らかにすることで,今後の研究の発展に寄与することができると考える。本稿でおこなった分析はあくまでも基礎的な分類に過ぎないが,日本語教育の文脈において音声に着目した分類をおこない,その課題を明らかにした研究は他にはない。日本語教育における音声に対するアプローチについて,教師が自身の考え方や立場に気づき,議論を発展させていく素地となる研究として,本稿を位置づける。本章では,認識論的立場をふまえた音声に対するアプローチの分類を,主要な先行研究を用いて示す。分類する際の枠組みは,音声観と音声教育理念の二つとする。音声観とは,日本語話者(本稿では特に日本語学習者)の音声をどのように捉えるか,という見方を指す。一つの正解があるように捉える音声観は本質主義的であるといえ,多様な発音があることを前提とし,その多様性を理解し合うものとして捉える音声観は社会構成主義的であるといえる。そして,音声をどのように捉えるかということを教育に照らして考えると,どのような発音をめざすか,ということにつながる。規範的な日本語の発音をめざすという教育は,本質主義的であるといえ,自分らしい日本語の発音をめざすと2.音声に対するアプローチの認識論的立場をふまえた分類57論文伊藤茉莉奈/音声に対するアプローチの分類とその課題

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