早稲田日本語教育実践研究 第11号
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伊藤 茉莉奈― 『日本語教育』『早稲田日本語教育学』『音声研究』の分析から―要旨1.はじめに55早稲田日本語教育実践研究 第 11 号  本研究は,日本語教育における音声に対するアプローチを,認識論的立場をふまえて分類したうえで,その課題を明らかにすることを目的とする。伊藤(2021)による音声教育の三つの分類「発音矯正」「音声指導」「音声学習支援」に,社会構成主義の立場から「やりとりの場づくり」というアプローチを加え,四つの分類を示した。そして,学会誌『日本語教育』『早稲田日本語教育学』『音声研究』に掲載された,日本語教育と音声の双方をテーマに含む文献を分析対象とし,音声に対するアプローチの研究動向を探った。その結果,分析対象の文献はすべて音声教育の三つの分類に当てはまり,音声に対するアプローチの議論は,本質主義にもとづく音声教育というアプローチの範疇で活発化し,多様化していることが明らかになった。多様性を尊重し合う社会の実現に向け,社会構成主義の立場に立って,音声観や音声教育理念を含めて議論を進めることを課題として提示した。  キーワード: 教師の役割,音声観,音声教育理念,本質主義,社会構成主義本稿では,日本語教育の文脈における,音声 1)ということばの一側面に対して教師はどのような役割を担い,アプローチするのか(以下,音声に対するアプローチ 2))を分類すること,そのうえで研究動向から音声に対するアプローチの議論の課題を明らかにすることを目的とする。まず,本稿を執筆するに至った背景を,日本語教師の役割に関する認識論的議論の変容(1□1),音声という側面に対する教師の役割に関する議論(1□2)という 2 点から述べる。そのうえで,本研究の目的と意義(1□3)を述べる。1-1.日本語教師の役割に関する認識論的議論の変容昨今,日本語教育では,人びとの多様性に着目した研究が増え,教師の役割も見直されている。従来の日本語教師の役割とは,日本語の仕組みや使用方法を学習者にわかりやすく教え,練習させ,学習者を流暢な日本語使用者として世に送り出すことであった。こうした従来の教師の役割の捉え方の背景として,日本語学習者は,日本語母語話者のような,規範的な日本語が使用できるようになることをめざすという前提がある。この前提は,日本語教育において規範的な日本語を本質と規定している点で,本質主義 3)にもとづく教育の捉え方であるといえる。三代(2009)が「日本語や日本文化を本質的なものとして規定してきた」(p. 73)ことを問題視しているように,客観的に存在する規範的な論文音声に対するアプローチの分類とその課題

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