2早稲田日本語教育実践研究 第10号/2022/1―3hayakawa.yamanashi.jp/people/hogen_narada.html;2022 年 2 月 7 日アクセス)で公開され暮らしてきた世帯の出身者で,お爺さんやお婆さんが身近にいた環境で育ったであろうことから,この「奈良田言葉」を理解できる,また一部使える友達であったと思う。県職員として電源開発にかかわるために,甲府盆地からここに赴任していた父と暮らしていた私はよそ者であったが,友達や友達の家族からよく耳にした言葉は今でも覚えている。私の同級生のお父さんで町役場で働いていた深沢正志氏が 1957 年に「奈良田の方言〔甲斐民俗叢書 3〕」の中でまとめた 1,679 以上の表現が早川町町役場の HP(https://www.town.ている。そして,公開されている動画(https://www.youtube.com/watch?v=csGmv8e0ZHw;2022 年 2 月 7 日アクセス など)の中の会話を今聞くと,よく注意しないと何を話しているか全くわからないほどの独特の抑揚がある方言となっていることが確認できる。「あなたは,君は」という意味で,「おんしゃ」という表現が頻繁に使われていたのが耳に残っている。よく考えると,時代劇などで聞く「おぬしは」という言い方から訛ってこの言葉が使われるようになったのではないかと推測できる。金田一春彦は「言葉の歳時記」(1973)で,「奈良田の人たちは容貌が秀麗であるばかりでなく,使う言葉が特異で,大宮人伝説にふさわしい点をもっていないでもない。」と言い,また「鹿をカノシン,あかぎれをアカガリ,食器を洗う仕事を「雑仕(ぞうし)」と言うなど誠に優雅な古語ではないか。」とも述べている。また,「1 月 25 日は,奈良天皇を祭るという奈良皇神社で古式ゆかしいお祭りがにぎやかにくりひろげられる。」とも説明している。同じく金田一春彦は,「日本語方言の研究」(1977)の中で,奈良田の方言は奈良時代の中央語を伝えていると言われてきており,古い時代の東歌の言い方を伝えてきているという点で奈良田は注目すべき地域であると特徴づけている。甲府盆地やアクセスがよい駿河との交流が始まり,奈良田以外の集落はそれらの外部地域の経済的な影響を受けることになったが,奈良田だけは早川のさらに上流の奥深い山の斜面に位置した集落であったことから,それらと縁遠く,独立した文化と言語が維持されてきたものだと推測される。戦後の電源開発事業では,奈良田より上流の野呂川においても水力発電所が建設されたり,また下流に建設された水力発電所に水を落差を持って供給するために,西山ダムが建設され,深い谷間の斜面に存在していた古い奈良田の集落が湖に沈むことになり,急速に他地域との交流が始まったが,それと引き換えに長い間継承してきた独自の文化や言葉が急速に失われてしまったことを考えると残念な気持ちになる。千何百年の長い歴史の中で,これらの変化が現れたのはわずかここ 70 年ほどのことであるが,不可逆的な動きである。2017 年春に父が亡くなったときには,奈良田の方々を始めとして西山地区に当時住み父と一緒にダムや水力発電所をつくり保守した方々が弔問に訪れた。何人かの方は,西山地区を離れて甲府盆地の方で暮らしているとのことであった。私の通った西山小学校は私が卒業してからそれほどたたずに廃校となり,早川町に当時 5 校あった小学校は 2 校に統合されてきている。同じ時期に学んだ級友もほとんどが早川町を離れて暮らしていると推測する。一方で,新たにご自身方の選択として早川町に都会から移住する新住民の方々も徐々に増えてきており町の活性化につながる活動がおこなわれてきている。辻一幸早川町長のリーダーシップのもと,早稲田大学理工学術院後藤春彦研究室も深くかかわって文化・
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