1巻頭エッセイ国際担当理事 弦間 正彦早稲田日本語教育実践研究 第 10 号 金田一春彦は「日本語 上」(1988)において,日本語は系統的に他の世界の言語から孤立した言語であるが,欧州にいったら別々に存在する言語になるほどに日本には多くの方言が存在し,りっぱな系統図を描いてその関係が理解できると述べている。長い間にわたる地域間の交流の歴史が,方言としての日本語の分化をもたらしてきているものだと考える。そして,多くの方言が各地に存在する一方で,共通語が存在することから,各方言は違った国語と見なされてきておらず,共通語と方言の共存は世界から見ると稀有な事例だと述べている。私は南アルプスの東側に位置する山梨県の早川町で生まれてから小学校を卒業するまで暮らした。現在ではリニア中央新幹線の南アルプスを貫通するトンネル工事のため大きなトラックが多く走るにわかに忙しくなっている場所であるが,総人口は千人あまりである。私が育った時期は電源開発や林業の振興を通じて僻地と考えられていた地域経済の活性化を図っていたときで,人口が 8 千人程度に増えていた。1967,8 年くらいであるが,早稲田大学児童文化研究会の方々が夏季合宿で奈良田にやって来て,地元の小学生であった私は,僻地集会所と呼ばれる多目的ホールで,都会のお姉さんやお兄さん方が上演した紙芝居を見た。そして,一緒にドッジボールをして楽しんだことを覚えている。その時期が戦後すぐの地域経済の活性化のピークとなった。その後水資源の利用も上限に達し,水力発電所の運行も自動化され,林業も外国との競争が激しくなり産業としてはなりたたなくなり,雇用機会を求めて若者がその地域を離れ,過疎化が継続して進んできてしまっている。ことに私が居住していた西山地区は早川の上流に位置し,戦後すぐまではまさに陸の孤島であったため,言葉も近隣の地域のものとは違う孤立した言語である「奈良田言葉」が残っていた。ギネスに「世界で最も古い歴史を持つ宿」として認証された西山温泉の慶雲館は 705 年から存在しており,そこからさらに奥に入った秘境中の秘境であった奈良田については,孝謙天皇(奈良王)還居伝説や平家落人説などが存在し,奈良王の大宮人(おおみやびと)が住みついたとも言われ,古い時代からの京都や奈良との関係の存在が語り継がれている。10 人いた西山小学校の私の同級生はほとんどは「深沢」という名字を持つ長年地元で日本語の方言と地域創生
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