注早稲田日本語教育実践研究 第8号/2020/29―435.おわりに42た,つまり<主体的な主張の基礎>となった経験である。お互いの考え方とともに考えた理由が,論理だけではなくその論理を生み出した個人の背景にまで及んで理解されるのである。そのような状況において初めて,「お互いの理解が深まった」と書くことができる。この授業では,議論した問題について理解し合うだけでなく,その議論を通して学習者たちがお互いについての理解を深め合う。ここまで踏み込むことが,国際問題を通したコミュニケーションを扱うことばの授業として重要であると言えるだろう。そして,ここに,世界中から様々な背景をもった留学生が集まる日本語教育において,国際問題を扱う意味があるのではないかと思われる。本稿の出発点は,直接経験のできない国際問題をどのようにすれば学習者が主体的に考えられるようにすることができるのか,そして,それを日本語教育のコミュニケーション活動としてどのように構想できるのかという問いであった。経験できないできごとについても,経験を鍵として学習者と国際問題とを結ぶことができる。その際に重要となることの 1 つが,国際問題を考えるための特定の問題意識(視点)を明確にすることである。そのような問題意識(視点)を通して<個人的な経験>を<主体的な主張の基礎>へと転換するような教室活動によって,学習者の主体的な主張が表現されるようになる。そして,そのことを,学習者が意味の協働構築に参加していくことばの教育として,具体的な日本語教育実践の中で示した。国際問題は個人のレベルでは直接解決できないとしても,それが個人同士の関係に影響したり,対立の「ムード」をつくったり,国家の政策に影響したりするなど,決して個人に関係がないとは言えない。対立をあおる可能性を含んだステレオタイプ化された情報や知識に対しても,問題意識(視点)をもって主体的に考えることを促すような教育はますます必要とされている。お互いがコミュニケーションをとりながら社会を創っていくために,言語教育の重要性はさらに強調されてもよいと思われるのである。今後の課題として最大の問題は,本稿において経験の意味が整理しきれなかったことである。教室活動の中にはさまざまな異なる意味での経験があることが,今回の検討によって再認識された。今回は学習者の<個人的な経験>のみに焦点を当てたが,教室活動自体も学習者に共通する経験である。経験学習理論が様々に引用されたり,経験と言語が不可分なものであると論じられたり,特に教育分野では既に理論的蓄積もあるため,もちろん,その中で筆者の教育実践の位置づけを考えることも重要であるが,その一方で,筆者自身の教育実践自体の中で,さらに経験の意味について検討していきたい。 1) 2012 年中央教育審議会答申「新たな未来を築くための大学教育の質的転換〜生涯学び続け,主体的に考える力を育成する大学へ」において,不確実性の高い世界の現状を背景に「想定外の事態に遭遇した時に,そこに存在する問題を発見しそれを解決するための道筋を見定める能力」が求められることが明確に示され,その考え方は,初等中等教育の新学習指導要領(2017 年)においても踏襲されている。
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