41論文新井久容/国際問題と<個人的な経験>を結びつけるニケーション活動としてどのように構想できるのか,への答えについてまとめたい。上記で分析対象とした授業において最終的に扱われたのは,学習者の考えたことであった。これを導くために重要なのは,国際問題を見るための特定の問題意識(視点)である。そのため,授業担当者が意図的に行なったのは,「歴史認識」という問題意識(視点)を学習者に対して明確に示して考えてもらうということであった 6)。学習者は「歴史認識」ということばは知ってはいても,ほとんどがその内容について理解していなかったり,深く考えたことがなかったりする。したがって,その後の教室活動は,「歴史認識」について学習者が協働で考えていくという実践となる。学習者が自分たちで考えるためには考えるための材料が必要であり,自分たちの経験を参照するしかない。これが,それまでは与えられただけだった概念に,自分の経験と結びつけた意味を与えるという実践である。学習者は日韓の国際問題という経験はできないかもしれないが,<個人的な経験>を通して「歴史認識」について考えることはできる。学習者の<個人的な経験>は「歴史認識」という概念を通して,学習者と国際問題とを結ぶ。今回の授業では「歴史認識」という概念が国際問題を考えるための特定の問題意識(視点)として扱われたが,他の概念が扱われる場合も,情報や知識として与えられたことばについて,<個人的な経験>から考えていくという実践になると考えられる。そのような意味の協働構築を通して,ことばに自分の経験と結びつけた意味を与えることができるようになるのならば,そのことばは自分のものとして用いることができる。ことばの教育において学習者の経験が扱われる意味はここにある。ステレオタイプ化された情報やそれが固定化された知識をコピーするのではなく主体的に考えるということは,ことばを自分のものとして使えるということだろう。そのような学習は,専門用語に限らず日常言語においてこそ行われるべきなのである。4-2.ことばの背景としての経験次に,「日本語のコミュニケーション活動としてどのように構想できるのか」への答えを一歩進めて,日本語教育において国際問題を扱う意味についてまとめてみたい。前述「(分析)対象の選択」で紹介した学習者エイの「コメントシート」の「グループ活動について」欄の記述を思い出してほしい。「…みんな背景が違うので,違う立場から国際問題を分析することができ,お互いへの理解が深まったと思う」。グループメンバーの「違う」「背景」は,「違う立場」を形成する。もちろん,このことは一般論として書かれることもある。しかし,経験を扱った本授業の結果として書かれたものであると理解することができる。授業では,グループ活動①において,日韓をめぐる国際問題という事象自体が整理され,学習者たちは一定の理解に達した。教科学習であればここで終わるという選択もできるかもしれない。しかし,グループ活動②において,事象自体の理解にとどまらず,事象を通して学習者が何をどのように考えたのかという,各自の考え方が明らかにされていく。だからこそ,なのである。学習者の考え方が明らかにされるとともに,なぜそのように考えるのかという自他の背景もまた明らかにされる。その背景として経験があるが,この場合の経験は<個人的な経験>ではなく,授業活動を通して共有され考える材料となっ
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