早稲田日本語教育実践研究 第8号
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38早稲田日本語教育実践研究 第8号/2020/29―43た共有できる経験へと転換される。そして,それらを基礎として,Q4 や Q5 では「歴史」と「(ひとの)認識」という概念の意味が学習者たちによって主体的に追求された,と言えるのではないか。3-2.議論から学習者の考えたこと以上のようなグループ活動における議論の展開を踏まえて,以下では,参加者のひとり,学習者エイの「コメントシート」の記述について検討していこう。3-2-1.情報としての<個人的な経験>まず,「コメントシート」の「授業テーマについて」欄の中で「議論から考えたこと」として書かれたコメントを見てみよう。 徴用工問題について考えたとき,韓国と日本が交渉しているとき,韓国は被害国として日本によるどういう行動を求めているのか疑問を覚えていた。「授業記録」と照らし合わせて,上記のコメントについて考えてみたい。グループ活動において,Q1「いつ,どこで,どのように歴史を学んだのか」という問いに答える中で,学習者エイからは,学校教育における経験の他,外国旅行の際,空港から市内に向かう移動中に,「戦争を忘れない」という日本を非難することばを見て驚いたという経験や,「自分は○○(国名:略)人だという自覚はないが,日本で歴史問題報道を聞いて(○○と)違うと思った」という経験が語られている。しかし,語られた時点では,それらは<個人的な経験>にとどまっており,特定の問題意識(視点)を通して見たものとは言えない。それは,上記の「韓国は被害国として日本にどういう行動を求めているのか疑問を覚えていた」という漠然としたコメントに表れているように思われる。もちろん,それは学習者エイ自身の疑問ではあるが,「韓国と日本」がどのように交渉を進めていくのかという,二国間外交の推移や韓国の外交手法に対して,学習者エイの関心が向けられていることが示されているだけで,進行中の事象をその外側から眺めているという立場である。上記から続く,次のコメントも同様である。 この問題について… (中略) …世界遺産を登録する時,こういう歴史があるということを明確するべきだという話が出た。一方,もし有効な交渉ができなければ,日本側は永遠この問題から解放できず,日韓関係も明らかになりにくいと考えられる。「授業記録」と照らし合わせて考えると,この記述は,グループ活動の中で他の学習者の<個人的な経験>を聞いたことから影響を受けて書かれたとも言える。他の学習者から語られているのは,その学習者の母国での学習経験,「歴史の授業を 100 とすると,たぶん 60 位は植民地時代にどうなっていたのか」や,徴用工をめぐる母国の世論,「強制労働だということをはっきりさせなければならない」にまで及んでいる。しかし,それも,他

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