20早稲田日本語教育実践研究 第8号/2020/13―28画的な日本語教師養成の機関の整備・充実方策を展開することを提言した。この提言を受け,1985 年に筑波大学日本語・日本文化学類と東京外国語大学外国語学部日本語学科が設置され,大学における日本語教師養成が本格化した。また,1988 年には文化庁が日本語教育施設における授業時間数,教師数,教師の資格要件を定め,日本語学校の標準的基準が作られる。また同年,第 1 回日本語教育能力検定試験が行われ,以降この検定試験が日本語教師の資格試験とみなされていくようになる。インドシナ難民,中国残留邦人,留学生の受け入れにより学習者の多様化が進んだことによる日本語教育をめぐる変化を受けて,教師養成・研修の言説も変化する。日本語教師は多様化した学習者の日本語能力に応じて適切な教育内容・教授法を選択する能力を持つべきであるという言説と同時に,教師養成の長期的展望に基づく計画の必要性を述べた言説が出始める。1980 年代の教師養成に関する論文では,倉持(1983)が「多様化した学習者に対して,教育機関や教師が十分その要求を満たす教育を行い得る態勢を整えていると認められて,はじめて進歩・発展の名に値する」(p.48)と述べ,日本語教師の役割として多様化した学習者に対応した授業展開ができる能力を挙げている。また,大学における日本語教師養成について言及した論文では,田原(1987)が「日本語教員の専門性が確立され,待遇の改善が図られ,その社会的地位が向上」(p.5)につながると述べ,井上(1987)が「大学のカリキュラムの中に日本語教員養成課程の組み入れが可能になったということは,日本語教育が専門分野として正式に認められたという画期的な意味がある。」社会的に認められる日本語教師の専門養成が始まったといえよう。しかし,まだ課題も多いという指摘もあった。水谷(1987)は「日本の各大学に設けられるであろう大学院段階での日本語教育専攻課程で,学位などがどのような条件で与えられていくか,また,どのような実力が与えられるかが将来の各国での日本語教育エリートづくりに大きな影響を与えていく。」(p.40)と大学院段階での教育内容が課題であることを指摘している。また,「大学間協定を利用した形での海外の大学で日本人の専門家が参加して共同研究及び当該国の教員養成に当たるなど将来に実現を求められる教員養成の可能性はいっぱいある」(p.41)とし,日本語教師養成における長期的展望に基づく基本的計画が課題であると述べている。教師研修に関する論文では,水谷(1983)が「教授法のあり方を固定的に考えることをいったん放棄する」(p.83)ことを提案し,日本語教師に必要な能力として学習者の日本語能力に応じて適切な教育内容・教授法を選択することができる能力を挙げている。つまり,1980 年代には,大学における日本語教師養成,日本語教育能力検定試験の開始といった専門性をもった日本語教師を養成する体制が整い始めたことで,理論を実践に結びつけ,多様化した学習者に合った教授ができる日本語教師の養成・研修が始まったと考えられる。3.3 「自己研修型教師」を養成・研修する時代(1990 年代)1990 年の入管法改正により,三世までの日系人には「定住者」の在留資格が与えられ家族を伴った在住外国人が急増した。1994 年には文化庁において地域日本語教育事業が(p.14)と日本語教師が社会的に認められるようになった点を評価している。この頃から
元のページ ../index.html#24