注6早稲田日本語教育実践研究 第7号/2019/3―6 するためには,次の場所(学部や大学院や社会)へ送り出すために日本語を教える機関ではなく,連続性を意識した「ことばの学びの中継点」となる必要があります。初級レベルの学習者にとっても,上級レベルの学習者にとっても,中継点であることに変わりはありません。どこに向かって,何のために,を考えるならば,開放性を確保しつつ,明確な「接続」を創出する必要があるということになります。 日本語学習は日本語学校ででもできますし,インターネットを利用すれば教室にいなくても学習することが可能な時代です。では,上述したような学生たちが大学という場で日本語を学ぶ意義とは何でしょうか。CJL にとって,CJL が「全学的」な機関である意味は,履修生たちが大学で日本語を学んでいる意義を見いだせるかどうか,にかかっていると思います。初級の学習者はサバイバルレベルの日本語習得で目標達成となるのでしょうか。大学生活を送るうちに,周囲の日本人学生や教員とコミュニケーションを取りたいと思ったとき,CJL が提供するプログラムはその学生が所属する箇所との連携がなければ,十全に機能するものとはなり得ません。上級前半の学習者が,日本語コミュニティへの参加を目指しているときに「日本語ができるようになってから参加してください」と対応されたらどうでしょうか。周辺からであっても,参加しながら日本語の上達も成し得るような日本語コミュニティであることが望まれます。そのコミュニティがゼミや一般の授業である場合,やはり,CJL では学生が所属する箇所との積極的な連携をもとにプログラムを作っていきたいと希望します。そうすることで,CJL は「全学的」な教育研究機関として,全学の日本語教育に貢献できると考えます。 最後に,CJL の「日本語教育プログラムのポリシー」3)から,ディプロマ・ポリシー(プログラム修了に関する方針)を引用して稿を終えたいと思います。地球社会の中で,既成の国籍や文化では規定することができない複数の文化・言語を合わせ持ち,主体的に考え,他者と協働的に行動していくことができる人材の育成を目指す。問題発見解決力,創造的構想力,批判的精神,異文化理解を通して,新たな社会を創出できる地球市民を輩出する。留学生に対する日本語教育のディプロマ・ポリシーですが,全学的な教育機関として目指すべき内容であると捉えています。 1) 舘岡洋子(2016)「ことばの学びの中継点として−多様性,主体性,開放性をもった CJLへ」『早稲田日本語教育実践研究』第 4 号,3-6. 2) 舘岡洋子(2018)「開放性をもった全学機関としての CJL へ− 2017 年度を振り返って」『早稲田日本語教育実践研究』第 6 号,5-10. 3)CJL 日本語教育プログラムのポリシー https://www.waseda.jp/inst/cjl/applicants/launch/policy/(いけがみ まきこ,早稲田大学国際学術院)
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