3森田典正/言葉のすゝめ じこもらず,他言語にも心を開くという価値観をも含んでいることにある。 近代リベラル・アーツ教育の中心が言語教育,外国語教育にあったのは,おそらく,リベラル・アーツの価値観と複言語主義政策がもつような価値観が不可分であったからだろう。日本においては一時期,高等教育機関における日本語教育を含めた外国語教育がすさまじい批判に曝されたことがあり,今でも,語学教育への偏見や無理解は見えないところで沸々と煮えたぎっているようにみえる。確かに,戦後,日本では語学教育が停滞して機能せず,また,これといった成果をあげることのできない時期があった。気がつけば,たとえば,日本は英語能力試験の平均値で,英語を第一言語としない他のアジア諸国からも大きく水をあけられていた。大学は語学教育を外国語学校に外注すべきだ,というような極端な意見さえ,かつては存在した。しかし,昨今,そうした主張が聞こえなくなったのは,大学の語学教育改革の結果でもあろうが,やはり,グローバル化という神風のなせる技であった。経済,教育,文化の急速なグローバル化の渦中で,大学に語学教育の放棄を求める選択肢がなくなったからである。しかし,これで語学教育に携わる教員が免責されたわけではない。言葉を鍛え上げることは全大学人の使命であり,言葉を教えることは言語能力を伸すことだけにとどまらず,しなやかな価値観を育てあげることにも通じる。言語の獲得はそれ自体が価値であることを誰も忘れてはなるまい。あのジャック・デリダも言うように「言語は人を耕す」のである。(もりた のりまさ,早稲田大学国際学術院)
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