60早稲田日本語教育実践研究 第6号/2018/47―656.むすびに代えて―バトンを受け取った者の使命―んだろうな。長沼で 2 回,復刻版出したんです。けれども,あまりにも膨大な本があって,結局,東京外大に寄贈して,東京外大がそれを引き取って,今,図書館に入れて,それをアーカイブじゃないけど,オープンにしたんです。だけど,半分ぐらいが見られないんじゃないかな。誰でも見られるようになってるんですが,著作権の問題があって,作者が死んで 50 年というのが生きてるもんだから。誰かが(作者を)教えてくれればオープンにしたいと言ってるんですよ。私も協力をして調べたんだけれども,わからないんですね。早稲田国際学院の教材があることがわかったんで,見たかったんですけれども,その作者が,当然(死後)50 年になってるはずなんだけれども,何年になったかというのを(確認するために),奉仕園に連絡とって,「この人の連絡先わからないか」って言っても,わからない。早稲田国際学院の教科書があるんですけれども,結局,オープンになってないんですよ。だから,そういうようなことがあって,いろんな意味で,早くしないと教材はどんどん失われるばっかりだということがあってね。それでこういう仕事を,意識があって,一つは復刻版の仕事をしてるということなんです。(教材が残っていれば)これからまた,若い人が研究できるかなと。早稲田の視聴覚教材もそうなんですよ。早稲田の図書館というのは,よそと比べてはるかに予算が多かったんです。それで,大学の視聴覚教材とか教材は,注文するとほとんどみんな買ってたんですよ。だから,かなり膨大な教材が早稲田にはあった。よそはそんな潤沢な費用はないのを知ってたんですね。それで,7 号館から移転をするときに,もう部屋がないし,処分するということになって「ちょっと待ってくれ,あれは貴重な本なんだ,特にビデオとか古いものは,もうよそにないはずだから,あれは焼却するとそのままになるから,私個人的に手伝うことがあればやるから」ということで。ビデオとかも湿気があったら駄目になるじゃないですか。だから,DVD なんかに落として,それを持っておけば,院生も使えるし,ぜひ今のうちにこれを残してほしい(と言った)。(それで)コピーをしてもらって,今もセットは DVD の形で日研のどこかにあるんです。リストを作って,「ここにあるよ」と事務所に言ったのに,もう私が辞めてから「わからない」と連絡があって,もう 1 回,「ここにあるはずだし,コピーというか,リストはここにあるから」って,持ってるものを添付して送ったりしたんだけどね。興味がある人がいなくなっちゃうと,事務もすぐにわからなくなりますね。辞める,あと何年で定年だって数え始めた頃に,やっぱりやっておかないといけないなという気になってね。そういう意識はありますよ,それは。結局,我々はそうなんですよ。次の人にバトンを渡すという役割だろうなという気はしますね。今あることのつながりを見ていかないと,今がどういう時代かとかね,というのはやっぱり見えにくいな,という気がしますね。本稿では,吉岡先生独特の柔らかくもウィットに富んだ言い回しにより,一人の日本語教師が実践経験をもとに研究テーマを見いだしていくプロセスを,当時の社会情勢や様々な要因とともに描き出すことができた。若い世代の読者のみならず,あらゆる世代の読者
元のページ ../index.html#64