早稲田日本語教育実践研究 第6号
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58早稲田日本語教育実践研究 第6号/2018/47―65とか,「捨てちゃった」とか。それが一件だけじゃないんですよ。早稲田国際学院を調べたときに,早稲田奉仕園の図書館に一冊だけ『国際学院報』という雑誌が残ってて。大学が直接事業としてやったものじゃなくて,奉仕園でやったものだから,大学には残ってないんですね。それで,「これしかない」と言われて,それも欠番があるわけですね。何年に何人学生がいたかというのがその月報を見ていくとわかるんだけど,それが欠けていたりする。で,そこの所長をしていた名取(順一)先生という人がいらしたんだけれども,「名取先生を知ってるか」と言うと,そこの職員が「名取先生のお子さんが,クリスチャンだから,奉仕園で会員になって,今でも来ていらっしゃいます」と言うからビックリして。結局,そこの教科書は半分以上残ってないんです。特に日本語教材は残ってない。名前はわかってるんですよ。何年にどういう教材ができた,っていう一覧表はわかってる。ところが,物がないんですね。だから,「それはぜひ連絡したい」と言って(名取先生のお子さんの)連絡先をきいて,電話をしたら,「もう何年か前に家を建て替えたときに全部処分しました」と言われて。そういう例がやっぱりいくつかあるんですね。教材というのは消耗品だから,個人だっていつまでだって取っていないですよね,書き込みしたりするから。だから,早稲田の図書館は本当によく残ってます。あれは,ほかの図書館よりもはるかによく取ってくれてるな,と僕は思うんだけれども。そういう意味で,これからの若者,自分はやる時間が限られてるのをわかってたから,これから誰か教材研究をやってくれる人に,自分が今できることは何か,ということを考えたんですね。まず一つは,どういう教材があったということすら,誰も,どこにも把握されてないんですね。だから,いろんな史料から,どういう教材を,誰が書いたかという一覧表を作りたい,というのが目的だったんですね。次に,残ってるとしたらどこに残ってるか,ということも調べたいので,国内,それから韓国,中国,台湾辺りも含めて調査をしたりして。その史料を全部見る時間もないんですよ。だから,わかる限りにおいては史料を残しておきたい。そして,それをずっとまとめたんですね。院生にも手伝ってもらったけども。その前書きに,「教材を,古い教材も含めて,公的機関がどこかでそれをマイクロフィルムでもいいから保管してほしい」,それから「誰でも,いつでも,研究者が見たいときに見られるようにしてほしい」,ということを,いつも冒頭に書くわけです 21)。(自身の日本語教育史研究には)そういうねらいがあったんですね。今,研究がこう来て,実践研究が来て,教材の研究が来て,日本語教育史の研究が来て,日本語教育史の終わりのほうは教材の変遷を軸にしてやってきた。もう一つ,視点,研究といえるかどうかわからないけれど,やってきたことは,(日本語教科書の)復刻版の監修なんですね。これは私にとっては意味があるだろうと思ってやってきた。それは,今言ったように,史料を探しても本当に苦労するんですね。教材を調べたい,その教材が古い教材だとないんですよ。図書館にもどこ行ってもないとかね。そういうことがあって,結局,海外で 1 冊だけ手に入れたとか,それから長沼の図書館に眠ってたのを見たのかな,なかなか揃わないんですね。それで,これは私だけの問題ではなくて,これから何かを調べたいと思っても元がないし,どんどんなくなっていくし,時間が経つにしたがってなくなるわけだから,早くしなきゃいけないということで。大学院にいるときに,冬至書房の社長が私のところへしょっちゅう来てたんですね。結

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