早稲田日本語教育実践研究 第6号
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57古屋憲章・古賀万紀子/今あることのつながりを見ていく5.次の人にバトンを渡すという役割―日本語教材アーカイブと日本語教科書復刻版の監修―あって,という話はずっと院生にもしてきたんだけれども。横の分類や,現在どうなってるかという,どういう特徴があるか,大体そういうことをやってきたから,今後は縦軸でやるべきだと。縦軸ではどういうやり方があるかというと,関さんたちも,(「日本語教科書の系譜」シリーズで)いろんな各国の(教材)をやってくれてるんだけれども,さっきも言ったように,僕は教材を,一つの視点を設定してずっとやっていくべきだろう,そうすれば非常に明確にわかるということですね。批判ということじゃないんだけれども,それが一番よく教材の変遷がわかるのではないかという気持ちがあったんですね。それで,結局,文型が明治からずっと続いているので,その文型を(視点として)やってみようということ。その流れが最終的に,能力試験のシラバスのところにつながっていくという。だからそれも軸にしていって,それが教科書にどのぐらいあるかということをずっと調べ始めたわけですね。文型が好きなんじゃないんですけどね,僕は。ただ,教科書を作るときに,今は少し違うかもしれないけれども,多くがやっぱり文法,学習項目が柱になってると思ってるんですよ。だからその一番大事なものを,視点を据えて変遷を,変化を見ていくと,日本語教材,または日本語教育の変化がわかるのではないかという考えですね。(教材における文型を視点として日本語教育史を描いたことによって,後輩に何が示せたかというと)一つは歴史の研究をする視点というか,一つの方法が,例が示せるということがありますね。それから,今後,教材を研究するという人が現れてくれば,方法論として,そういう視点の設定というのが大事になってくるだろうと思うんですね。それを示せばいいかなと。直接,実践から出たものじゃないと言ったら,それは歴史のほうでしょうね。歴史は特に,日研では授業を持ったけれども,それはずっと後のことだからね,私が論文書き始めてからだから,あれは直接実践から出たものではない。でも,日本語教育史の中で僕がいくつか論文書いたのは,岡倉由三郎とかね,早稲田国際学院は日本語教育機関だからいいんだけど,あとは松宮弥平とかね,そういうことをやってますからね 20)。教材に特化したわけではないんだけれども,広い意味では関係しているけどね。日本語教育の流れの中でどういう役割をしたかということですから。(個々の日本語教師が何をしていたかを歴史的に見るという視点は)個々に史料が残っている限りにおいては,ありますよ。(だから)松宮弥平とか,松本亀次郎とかっていう,比較的史料がありそうなものは調べてみたりしたんです。ただ人物研究だけをやりたくないから,教材を軸にしながら,その人とどういう関係かとか,何をしたか,ということをやりましたけど。史料があんまりないんですよ,やりたいんだけど。(自身の日本語教育史研究には)もう一つ動機があって。一つは古い教材などを研究し始めたときに思ったことなんですけれども,いろんな人を訪ねたり古い史料を漁ったりしてるときに,個人のところ,例えば,松本亀次郎のお孫さんかな,訪ねて行ったりすると,「何か史料残ってませんか」という話をすると,「もうちょっと早く来てくれればねぇ」

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