56早稲田日本語教育実践研究 第6号/2018/47―65しょうね。それ書いて,1995 年かな,サバティカルでイギリスに行ってるときに,平高(史也)さんが日本語教育史の本を出すのに,『月刊日本語』にシリーズを出してるけども,今イギリスにいるんだから,イギリスの人(について),2 回ぐらい書いてくれと言われて,ダニエルズとアストンについて書いたんですね 15) 16)。それは本当に短いものですけどね。あとで「なんで私のところに言ってきたんだ」ときいたら,「いや,清国留学生部の歴史やってるじゃない,それで頼んだんだ」と平高さんが言ったんですね。そういうことがあって,歴史はやり始めるとある種の義務感が出るんですよ。何の義務感かというと,史料を探していくと,なかなか史料が欠けてるものが多いんですね。明治になるとさすがにそれはしょうがないやと思うんだけど,最近というか,昭和あたりに入ってきて史料がないとなると,これは本当に,早く言ってくれればよかったのに,というのがいっぱい出てくるんですね。そういうことが何回かあると,これは本当に早くやっておかなきゃいけないな,というふうに思い始めてね。それで教材をやってることもあったんで,主に教材を軸にしながら,教材だけでなくて人を軸にする場合もあるんだけど,歴史に興味があって面白いということもあるし,あんまり人がやっていないということもあったから。それで,日本語教育史をやり始めたんですね。(教材を軸に日本語教育史を描くという手法は)今までないことはないんですよ。関(正昭)さんと,新内(康子)さんが,大規模な論文「日本語教科書の系譜」をシリーズでずっと書いてるんですね 17) 18) 19)。だから,誰もやってなかったわけではないんですけれども。私がやらなきゃいけないと思ったのは,彼ら二人が書いたようなことは,日本語教材を見るときに,教材の関連性というか,社会とか教師とか機関とかいろんな要素があるということで,流れがこうなってると系譜を書いてるわけですよ。僕はそういうやり方じゃなくて,一つの視点で時代がどう変わったかを書くべきだというのがずっとあったんですね。一体それは何だろうかなというふうに思ってたんですよ。教育史は非常に広いんですよ。僕はそれを,教材の中の学習項目という視点を設定したうえで,明治から現代までどういうふうに変わったかという変遷を見るというのが大事なんじゃないか,という気がずっとあったんですね。結局,その体系を全部書いたわけじゃないんだけれども。また,時代が変わって,やり始めた頃には(日本語)能力試験のシラバスが公表されていて,すべての教科書や日本語教育があのシラバスを基にしてやっていたわけですね。文法項目があるわけですよね。日本語教育の流れが,到達が,学習項目の文法っていうそこにある。そこを軸に据えて,そこに行くためにどういう流れがあったかということを見ていくと,一つの流れが出るだろうというふうに思ったわけですよ。それで文型ということを(軸に)据えて,明治期の文型がどうだったかとか,大正,昭和というふうに,やろうと思ってたんですね。途中までしか終わってないんだけれども,発想はそういうことなんですね。自分が教材をやってきて,それから日研にいるから教材をやらなきゃいけないという義務感もあったし,それ(教材)をやっぱり縦軸として見ておかないと,というような気持ちが一つあって。『徹底ガイド日本語教材』は今のものを取り上げた。それは『教科書解題』からやってるわけですよ。横軸はそういうやり方でやればいいと。教材を分析するときに,教材ったって非常に広いから,分類からやるべきなんですけれども,一応タイプが
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