53古屋憲章・古賀万紀子/今あることのつながりを見ていく4.視点を据えて変遷を見ていく―日本語教育史研究―んだろうと思うんですけどね。本当に多様な教材があるわけで,自分たちがやっていることがベストだと思わない方がいいわけ。たとえその教材を使ってるとしても,やり方はいろんなやり方があるんですよね。だから,そういう意味では,視点をもっと大きく持ってほしいと思うし。早稲田に来て,日研[大学院日本語教育研究科]を立ち上げようっていう話が出たときに,最初,7 人(の専任教員が)研究室・ゼミを持つということになって,そこで何を持つんだ,っていう話になったんですよ 11)。そのときに決めたことは,好き勝手にやろうと。自分がやりたいことをまず出してみようという話になって,そのときに出したのが,私は「教材・教具」だったんですね。それは,視聴覚教材をずっとやってきたこともあるし,聴解も含めてやってきたってこともあって,ゼミを立ち上げるとしたら何がいいかなということから,「教材・教具」ということでできるだろう,ということで私は出してる。たぶんほかの人は誰もそんなことはしないだろうと思ったからね。それを出したらみんな重ならないからこれで行こう,ってことになったんです。それで,大学院で「教材・教具」というゼミを担当するようになって,これは嫌でも全体の教材のことをやらざるを得ないわけですよ。どっちかっていうと,やらざるを得ない状況からそっちに動いていく,というのがこれまでのいきさつですね。(研究指導をするということは)否応なく,みんな覚悟してましたよ。ただ,そのやってることが,結局日々教えてるわけですから,教えてることの中から生まれることを文章にすればいいという意識はありました。あなたのものを。何か理念だけをやるというわけじゃなくて。基本的に大学院を立ち上げるときにみんなで確認し合ったことは,必ず日本語の授業は持ちましょうと。それを持たなかったら生きた研究なり,大学院はできない。実践から遠ざかったら意味がないから,必ず日本語センター[日本語教育研究センター]の授業を何コマか持つと。で,大学院生も教えると。同時にそこでリンクさせて実際の授業を見学させたりすることができるから,我々はどんなことがあっても実践(日本語の授業)を担当するということは申し合わせをして,それでスタートしたんですね。ですから,自分たちの経験の中から生まれたことを大学院生に伝えることはできるだろうという考え方なんですね。研究家と言われたら,正直,今でも忸怩たる思いはあるんだけれども。でも,今言ったように,日々教える自分の経験から後輩たちになにかしらのことを教えることはできるだろう,というぐらいの気持ち。私はね。ほかの先生たちは知らないけども。そういう考え方ですね。教材を見るというのは,一つは,教材はいろんな種類があるということがあるでしょ。同じ教材,教材と言いながら,非常に広い範囲,視聴覚教材もある。そうすると教材の分類が必要だなっていうのが一つあったこと。それからもう一つは,私が教師になりたての頃からそうだけれども,どの教科書も初級は,量がちょっと違うだけで,ほとんど同じなんですよね。つまり,文型積み上げ式になってるじゃないですか。日本語を教えるということは,文型・語彙を積み重ねて教えていくということになるわけで,こんなこといつ
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