早稲田日本語教育実践研究 第6号
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49古屋憲章・古賀万紀子/今あることのつながりを見ていく書いてるんだけど,その頃にそういった日本語教育の研究誌っていうのはなかったんですよ。だから,そういう意味で,その頃からずーっと続いてきたというのは,実は大変な早稲田の評価される一つの要素なんですね。で,なぜそういう雑誌ができたかというと,それは,やっぱり先生方が研究職でもあるという認識の中で,「講習会を開こう」というふうにしたんですね。その頃,日本語教育の中で講習会というのはほとんどなかった。長沼が少しやっていたと思いますけれども。今のように養成講座,420 時間,そんなものないですから,需要がある現場の先生たち,またはこれから教師になろうとする人たちのために,講習会を開くというのがスタートしたんですね。それで,スタートすると,みんなそれぞれ専門分野で何か分担しなきゃいけないでしょ。で,分担をしなきゃいけないからというので,それぞれみんな意識を持ち始めるんですね。たぶんそういうねらいがあったと思うんですね。で,夏に講習会やって,終わったあとで,秋から(講習会で)発表したものをもとに,ずっと原稿を書くんですね。それが第 1 号として出版される。それ,ずーっとこれから何十年も続いていくわけです。だから,『講座日本語教育』第 1(分冊),第 2(分冊),第 3(分冊)というふうに発行するというのは,実はあれは講習会の記録なんですね。(講習会は)1964(昭和 39)年の夏から始まったはずです。(講習会で何を話すかは)自由です。自分が決めるんです。(自分の研究や専門分野は何かを)振り返らざるを得ないんです。人に向かって話すとは,そういうことなんです。それで,勉強になるわけですよ。それは木村先生もちらっとおっしゃってた。「や,自分たちの勉強だ」っておっしゃってたけどね。その頃,やっぱり私がすごく影響を受けたなあと思ったのは,(講習会における)木村先生の授業っていうのは,現場に直結してるんですよ。それで,視聴覚などのやり方も,おやりになったこともあるし,それから,どういうふうに授業を教えるかという工夫のようなものが大事だということを話してらっしゃるわけですね。例えば,あるときは,今考えたら誰もやらないそんなの,「写真の撮り方」なんて,講座のタイトルがあったんですね。「写真で一番大事なものはどこか」とか言って,そういう質問から入ったりね。つまり,写真の撮り方というのは,写真を撮ることによって,その写真を日本語教育の授業でどう使うかということとも結びついてるわけですよ。だから,それが必要だという。永保先生はお得意の「漫画の描き方」なんてことをやってるわけですよ。まあさすがに「漫画の描き方」というタイトルじゃなかったと思うんだけど,講習会ではそれやってましたね。そのイラスト,4 コマ漫画を見せて,作文を書かせるとか,会話させるとかっていうふうなことの例なんですね。だから,じゃあ,イラストのやり方みたいなものをみんなでやってみようという講習会だったという。そういうふうなことがあったんですね。まあ森田(良行)先生ははじめから文法をずっとシリーズでやってらしたし,武部(良明)先生は表記ですよね 7) 8)。出身から言って,英語,英文学の出身,まあ木村先生なんかもそうですけど,それと国文学系,国語系がいると言うんだけど,確かに背景は調べればそうなんだけど,でも,日本語教育やり始めてからは,それを分けることの意味は,たぶんあんまりないというふうには思うんですね。やっぱり,現場で外国人に日本語を教えるということから自分が工夫してやっていくということに巻き込まれていけば,自分の出身は,もちろん影響がないわけではないけれども,結局,日本語教師として,みんな経験を積んでいくということだか

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