早稲田日本語教育実践研究 第6号
5/142

早稲田日本語教育実践研究 第 6 号  英国の現代詩人トウニー・ハリスンは,1985 年に発表した長編詩「V」で,詩に興味の薄い人の間でもその名が知られるようになった。「V」は今日では珍しく韻文で書かれた,しかも,政治詩で,サッチャー政権時代に激化した社会対立や社会分断に鋭く切りこんで注目を集めた。冒頭引用されるアーサー・スカーギルの新聞インタビュー記事はこう述べている。“My father still reads the dictionary every day. He says your life depends on your power ルについて知る者は,その予想外の発言に驚いただろう。彼は中学卒業と同時に,僅か十五歳で父親同様,地元の炭鉱で採炭工として働き始め,後に全国鉱山労働者組合幹部となった後,1984 年からはその委員長として二年にも及んだ炭鉱夫ストを指揮し,一時はサッチャー政権と激しく対立する一方,その独善的言動で首相とともに英国でもっとも激しく嫌悪された人物であった。生まれ故郷のヨークシャー訛りを隠さず,また,発言は教条主義的内容のものばかりであったが,立て板に水の弁舌,舌端火を吐く言説は圧倒的で,少なくとも彼の信奉者の間では感銘極まりないものだった。我々は外国語については「マスターする」などと,能動態述語を使用するが,あのスカーギルにとっては母語もまた,所与のものではなく,努力し獲得されるべきものだった。作者のハリスンもまた,スカーギル同様ヨークシャーの労働者階級家庭の出身で,地元のグラマー・スクールから奨学金を得てリーズ大学で古典文学を学び,ギリシャ・ラテン語とともに,詩人となるべきほどの母語能力を獲得した人物であった。 いわゆる「言語論的転回(Linguistic Turn)」の立場に分類される哲学・言語学は,人間の知覚,認知,理解は言語によって決定されると考える。「言語の使い手の意識」が言語を操るのでなく,逆に,言語自体が意識を構成すると捉えるからだ。たとえば,ソシュール言語学の代表的概念の一つである「差異」に関して,彼が述べるところによれば,英語で ‘River’, ‘Stream’,‘Brook’ の違いは川の大小に依拠するが,フランス語の ‘fleuve’, まないという差異から生起するという。人間の意識が言語によって一方的に構成されているかどうかは疑わしいとしても,それぞれの知覚,認知,理解が言語と密接に関連していることは間違いない。一方で,多くの認知科学者は異なる言語の話者は,異なるマインドを持つと指摘し,その中の一部の認知科学者はバイリンガル,トライリンガルは,自らの1国際担当理事 森田 典正to master words.” この一節自体驚きに値するわけではない。しかし,こう述べるスカーギ‘rivière’ の相違は必ずしもその大小によらず, ‘fleuve’ は海に流れ込み, ‘rivière’ は流れ込【巻頭エッセイ】言葉のすゝめ

元のページ  ../index.html#5

このブックを見る