早稲田日本語教育実践研究 第6号
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38早稲田日本語教育実践研究 第6号/2018/31―455.結果はないという理由で取引先からは取り合ってもらえない。一見,全く異なるエピソードに思えるが,これら二つの事例からは,同じ概念が抽出できる。即ち,日本企業の海外拠点では,日本人トップとローカル出身の営業の間で役割分担が決まっており,商談のアプローチと意思決定は日本人トップが担当するという不文律である。それ故,ミンのようなローカル出身の拠点責任者は,当初は商談相手として見なされず,商談に行き着くまでに日本人トップであれば経験しないような長い時間と手間がかかってしまうのである。このように類似例と対照例に関する比較・検討を進め,理論的メモの記述を踏まえて最終的に抽出された概念が《日本人同士の商談が規範》である。 同様に,他の分析ワークシートも分析作業を進め,全体の影響関係と変化のプロセスを検討し,モデル図(次ページの図 1)を生成した。 分析の結果,全 38 の概念(・印)は,8 つの大カテゴリー(【】内)と 9 つのカテゴリー(《》内)によって,次ページ図 1 のようにモデル化された。モデルは,左上部の入社前の動機から始まる。左上から右方向にカーブする太い矢印が時系列のプロセスを表し,その途中には,入社・母国への異動・現在の勤務継続,という三段階のフェーズがある。モデル図中の概念(・印)にも,前掲した分析ワークシートの例同様,概念ごとに(M),と(W)の表示を付したが,これらは対象者の実際の発話から,その抽象度をワンランク上げたものである 6)。2 人に共通して現れた概念については,(M / W)と示した。 本研究は,文系総合職として就職した元留学生で,中小企業に入社後 1 〜 2 年で転勤を命ぜられて母国に帰国した 2 名(ミンとワット)を対象に,母国の駐在業務に従事することに伴う不適応の有無とそのプロセスおよび影響関係を探り,仮に,不適応に陥っても離職に至らず勤務を継続するのであれば,それはどのような理由に依るのかについてモデルを生成した。 学生時代の 2 人の【日本企業への就職動機】は,《日本への愛着》と《日本企業での成長意欲》という対照的なものだったが,母国では達成出来ない点が共通している。いずれも,就職を希望する外国人留学生としては典型例と考えられるため,1 名だけに現れたカテゴリーであるが,それぞれ個別のカテゴリーとした。 その後,中小企業に入社し【日本企業の新入社員としての適応】ができたところで,母国への異動を命じられた。それまでは 2 人とも本社もしくは主要拠点に配属され,【限られた国内勤務経験】しかない。しかしそれを自覚するのは,母国で【中小企業の海外進出拠点の特徴】の一つである,《少人数での運営》という環境に置かれてからである。少人数ゆえに,個々の仕事の守備範囲が広くなければ拠点の経営が成り立たない。このとき 2人は,《幅広い業務に対応できない未熟な自分》を痛感することになる。 更に,彼らに予想外かつ対処の困難なことが母国勤務には二つあった。ひとつは,《日本人同士の商談が規範》というルーティンである。商談の決定権は常に日本人の責任者にあり,日本語がいかに堪能でも日本人でない場合は取引先からの信頼を得にくい。この現象には,《決定権は日本本社もしくは日本人役員》という海外拠点の特徴が影響している。

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