注髙井かおり/実践改善のための振り返りを「せめぎあい」の場にするために 本研究は,筆者の過去のタイでの日本語教育実践における問題意識から,過去に実践をともにしていた非母語話者日本語教師マリ先生にライフストーリー・インタビューを行った。しかし,そのライフストーリー自体ではなく,インタビューを筆者とマリ先生の実践改善のための振り返りとして捉え,意味づけ,筆者とその非母語話者日本語教師の実践がうまくいかなかった要因を明らかにした。そのうえで,海外における非母語話者日本語教師と母語話者日本語教師の実践改善のための振り返りに必要な視点を提示した。 インタビューの分析結果から,非母語話者日本語教師であるマリ先生と母語話者日本語教師である「わたし」の実践がうまくいかなかった要因が 2 点明らかになった。1 つはマリ先生と「わたし」の実践に「せめぎあい」の場がなかったことであり,2 つ目は筆者にはタイ語ができないというコンプレックスがあったことであった。それらを踏まえて,海外における非母語話者日本語教師と母語話者日本語教師の実践改善のための振り返りに必要な視点として,(1) 振り返り時のやり取りに違和感や不快感を持った時,それは相手との考え方の「違い」に起因することを認識し,その「違い」の要因を対話により明確にしようすること (2) 実践の振り返り,および関係性構築のきっかけとなり得るライフストーリー・インタビューをすることの 2 点を提示した。 本研究では,筆者が過去にともに日本語教育実践を行っていた非母語話者日本語教師へのライフストーリー・インタビューを,聞き手である筆者自身の実践の振り返りとして意味づけた。ライフストーリー・インタビューは「語り手の人生や経験とふれあい,それを理解し,解釈する」(桜井 2005:8)ものであるので,本来は過去を共有していない人を対象とするものであると考えられる。しかし,本研究では,語り手と聞き手が実践を共有しているからこそ,ライフストーリー・インタビューを振り返りと捉えることができ,2人で行う実践改善のための振り返りに必要な視点を明らかにすることができたと考える。そして,もしこの実践の振り返り = インタビューの意味づけを,実践を共有していた語り手と聞き手 2 人で行うことができたら,それが「せめぎあい」の場になっていくのではないだろうか。 1) 本稿は 2012 年 9 月提出の早稲田大学日本語教育研究科修士論文「非母語話者日本語教師と母語話者日本語教師がともに日本語教育実践を創造するために必要な視点とは何か―タイ人日本語教師のライフストーリーから―」の一部を別の観点で分析し直しまとめたものである。 2) M4 は高校 1 年生,M5 は高校 2 年生,M6 は高校 3 年生のこと。M はタイ語で中高校を表す言葉の頭文字。中高校は M1 〜 M6 までとなる。参考文献飯野令子(2009)「日本語教師の『成長』の捉え方を問う―教師のアイデンティティの変容と実践共同体の発展から―」『早稲田日本語教育学』5, 1-14. 飯野令子(2010)「日本語教師のライフストーリーを語る場における経験の意味生成 語り手と聞き手の相互作用の分析から」『言語文化教育研究』9, 17-41. 918.まとめ
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