早稲田日本語教育実践研究 第5号
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係性が深まる中で,どちらが正しいとかどちらに合わせるとかではなく,2 人が共有できる新しい価値観を生み出すことができるのではないだろうか。他者とのやり取りにおける違和感や不快感はその相手との考え方の違いに起因することを認識し,それを自分一人で解決しようとせず,対話によって明確にしていくべきである。その過程が「せめぎあい」の場=新しい共有の価値観を生み出す場になると考える。 2 点目は一緒に授業をしている非母語話者日本語教師と,制度上の問題や考え方の違いなどで,授業の打ち合わせや相談の時間を十分にとれない場合は,相手の教師に「ライフストーリー・インタビュー」を申し入れることを提案する。飯野(2009)では,教師の「成長」を個人のものではなくその教師が参加してきた実践共同体とともに包括的に捉えている。また,牛窪(2015)ではティームティーチングをしているにも関わらず,顔と名前を知っているだけの関係性の教師たちが行った勉強会において,教師たちは,その勉強会を自身の教師としての姿勢やあり方を改めて考えさせられる場であると認識し,他の教師とつながることに意味を見出していたという。そして,日本語教師の成長は「同僚性コミュニティ」の中で捉える必要があると述べている。教師の成長を個人のスキル,個人の授業の向上と考えた場合,一緒に授業を行っている教師は誰であってもどんな人であっても関係がなくなり,対話は全く必要のないものと考えられがちである。しかし,飯野(2009)や牛窪(2015)が述べるように,教師の成長はコミュニティとは切り離すことができないものであり,7­1­1 で述べたように「せめぎあい」の場が必要なのである。そのためにライフストーリー・インタビューが利用できるのではないだろうか。お互いの実践については干渉されたくない,したくない,話す必要性を感じないという人であっても,一緒に実践を行っているのだから,よりよい実践のために「あなたのことをもっとよく知りたい」とライフストーリー・インタビューを依頼すれば協力してくれるであろうし,それは対話のきっかけとなり,その人自身のことを語り聞くという行為は,人間関係を深めていくことにつながるのではないだろうか。自分を語り相手の語りを聞き,お互いに理解し合うことにより「せめぎあい」の場=新しい共有の価値観を生み出す場を持てる関係性へと発展していく可能性がある。「せめぎあい」の場=新しい共有の価値観を生み出す場を持つことで,お互いに相手のことを受け入れる態度と,それにより,お互いに相手に対して自分を開くことができるという信頼のある関係性が構築されていくのではないだろうか。また,インタビューの聞き手の振り返りという意味では,本研究でも示されたように,他者から語られる自身の実践を意味づけることは自分一人で行うより,より深い自己理解をもたらす。そして,ライフストーリー・インタビューの聞き手と語り手が実践を共有しているからこそ,価値観の違いに気づきやすくインタビューが「せめぎあい」の場につながっていくのではないだろうか。飯野(2010)では,聞き手と語り手がともに日本語教育実践者の場合,個々の実践を共有していなくても,お互いに新しい発見があり実践の変容があり,課題の生成につながると述べられている。しかし,日々の実践を共有しているからこそ,お互いの違いや新しい発見は切実であり,「そういう考え方もある」という認識に留まらない「せめぎあい」につながると考える。インタビューを重ねることでお互いに自身の実践を振り返ることができ,自身の実践を意味づけ,課題を見出していけるものと期待する。90早稲田日本語教育実践研究 第5号/2017/75―92

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