M: たくさん? K : だって,一人だったら,自分だけだから,話す必要もないし,自分が考えればいいけど,2 人ってことは,頭が 2 つあるから,でも,ここがやっぱり一緒になったほうがいいじゃないですか。一緒にやるってことは。で,一緒にやる,ここ,なんか考えを一緒にするためには,やっぱり話をしないと,何を考えてるかわかんないじゃないですか。私はこういうふうにしたいって思ってるけど,で,マリ先生はまたこういうふうにしたいって思ってたら,そこのところを合わせていかないと,私はこうしたいのにって思うだけでしょ。 M: すべてのこと? K : すべてっていうか,教えるっていうか,授業に関してはやっぱりそういうふうにしていかないと。 M: 時間かかるんですね。だから,例えば 2 時間の授業ですね。あの,これ,先生やりなさい。プリント作ってください。この部分,私はやります。会話の方私はやります。言葉の方私やります。だから,任せますので,一応,やらせます。 しかし,マリ先生にとって「一緒に教える」とは「今日の授業は何をするか」「分けて,日本人の先生してください,私はやります」と言っているように,授業を分担して行うことだった。そして,マリ先生がそう言っているにも関わらず,「わたし」はずっと「時間はかかる」が,「いっぱいしゃべったほうがいい」「授業について,どうするか,相談をたくさんした方がいい」「やっぱり話をしないと」「授業に関してはやっぱりそういうふうにしていかないと」と,マリ先生の言うことは全く無視して,自分の考える「一緒に教える」について主張し続けている。「一緒に教える」に自分が考えている以外の意味があるとは全く考えられず,マリ先生の言うことには耳を貸さず,自分の言いたいことを言うだけだった。 本章では,前章の分析結果から,母語話者日本語教師である「わたし」と非母語話者日本語教師であるマリ先生との日本語教育実践がうまくいかなかった要因を明らかにしたうえで,海外における非母語話者日本語教師と母語話者日本語教師の実践改善のための振り返りに必要な視点を考察する。7-1.「わたし」とマリ先生との日本語教育実践がうまくいかなかった要因は何か 分析結果から,「わたし」とマリ先生には,最初に仮定したように価値観の違いがあったことがわかった。「わたし」の価値観は以下の 6 項目がインタビュー時に「構え」として表れた。そして,これらが「わたし」とマリ先生のコミュニケーションの齟齬を生んだことから,マリ先生の価値観はこれらとは違うことがわかる。 1.日本語を教えるのはそんなに簡単なことじゃない86早稲田日本語教育実践研究 第5号/2017/75―927.考察
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