早稲田日本語教育実践研究 第5号
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 「わたし」は,授業はもちろん授業以外でも,片言のタイ語では自分の本当に思っていることは表現できないという思いもあり,タイ語が話せないことにかなりのコンプレックスを抱いていた。そのためか,このやり取りからは,タイ語さえ話せれば問題はすべて解決すると思っていることが感じられる。この後も,マリ先生が何を言っても,「いくら日本語で言ったって,伝わる訳ないんだから,タイ語しかないですよ」「あとはタイ語で言うしかないでしょ」「私がタイ語で心を伝えるしかないと思うんですよ」と言い続け,最後には「私は(私の心を伝えることは)できないと思います」と言っている。心を伝えるのに,ずっと言葉の話をしていて,途中,マリ先生が「でも,私言ってるのは,もし生徒が,先生のことはわかったら,その心の伝わることもわかると思います」と,言葉の問題ではないと言っているのに,「わたし」はその言葉を全く聞かず,「タイ語で……」と言い続けた。6-2-3.「一緒に教える」とは教案作成からすべて一緒にやること 「わたし」は「一緒に教える」とは,「教案作成から振り返りまで」のすべてを一緒に行うことだと思っていた。実践当時はそれが全くできず不満を感じていた。そして,インタビュー時もそれを前提として話をしていた。  K : そうしたら,そういう日本人と,タイ人の先生はどうしたらうまくやっていけるんでしょうね。  M: S 中高校の場合なら,そうですね,授業する前に,ちゃんと生徒の程度,レベル,わかってて,先生言ったみたいに,タイ人が,その教えることをちゃんとたてた方が言ってたんですね,だから,今日の授業は何をするか,だから,分けて,日本人の先生してください。私はやります。そういう順番に,いったほうがいいかもしれません。  K : でも,それって,結構大変なんですよね。例えば,この 1 時間の授業するために,たぶん,すごく話をしなければならない。もし,例えば,私と先生がこれ 1時間やりましょうって言ったら,まずこれを 2 人で,どうしますか?じゃあ,これはこうやりましょうかって,もし 2 人で話をするとしたら,たぶん,時間が必要ですよね。  M: かかりますね。まあ,だんだん慣れてくると思いますね。1 週間の分,例えば 1週間の分,もし何か間違ったら,後で教えますから。これはした方がいい,しない方がいい,そこまでは言わなくてもいい,ぐらい。だんだんわかってくると思います。  K : そっか,そうですね。私は,時間はかかるんですけど,先生と,日本人の先生とタイ人の先生がもし一緒にやるんだったら,いっぱいしゃべったほうがいいと思うんですよ。しゃべるっていうのは,無駄話じゃなくて。  M: 教えること?  K : そうそう,授業について,どうするか,という相談をたくさんした方がいいと思うんですよ。85髙井かおり/実践改善のための振り返りを「せめぎあい」の場にするために

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