早稲田日本語教育実践研究 第5号
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  K : 嫌だったら,たぶん聞くと思うんですよ。で,私はそうだから,私は一生懸命がんばってやってるのに,みんなが横向いてしゃべってたら嫌じゃないですか,って。私はみんなのは聞く,ようにしてるから,うん,たぶん,あの子たちは,自分は誰にも聞いてもらえなくても,あんまり何とも思わないんだろうな。  M: だから,私はいつもね,いろいろやらせて,立たせて。  K : それが一番不思議っていうか,何で聞かないんだろうって思います。 ここで「わたし」はまず,「私だったら」人の発表は「聞くのが当たり前」だけど,S中高校の生徒たちは聞かないと言い,それが不思議だと言っている。そして,「自分が発表してる時みんな聞かなかったら嫌じゃない?」「(でも S 中高校の生徒たちは)嫌じゃないんだろうな」という内容を 2 回繰り返している。ここでマリ先生は相槌程度のことしか言ってはいないが,「わたし」はただただ自分の言いたいことを言っている。それは,理解できなかったということである。6-2-2.「わたし」はタイ語が話せないからタイ人と対等じゃない 「わたし」は自分の周囲のタイ人たちとタイ語でうまくコミュニケーションできないことから,タイ人に一人前の人間として見てもらえていない,だから対等じゃないという思いを持っていた。そして,それはすべて自分がタイ語が話せないからだと思っていた。そして,マリ先生にどう思うか聞いた。  K : 例えば,今マリ先生が自分の思いっていうのを生徒に言うでしょ,それで,まあ,生徒の言っていることもマリ先生はわかるじゃないですか。(中略)私もなんか言いたいこととか,伝えたい事ってあるんですけど,でも,多分あの子たちに日本語で言っても伝わらないじゃないですか。なんかそういう時に,何ていうのかな,なんかこう,私の言うことは伝わらないって思うんですけど。  M: 伝わらないですね。  K : 本当の気持ちが伝わらないっていうか(中略)ほら,マリ先生はタイ語がわかるから,なんかこう,気持ちを生徒に伝えることもできるし,生徒の気持ちも知ることができる。でも,私は,私の気持ちを伝えることもできないし,生徒の気持ちも,なんかあんまりわかることができない。  M: それは,言葉の問題ですね。  K : そうそう,だから,そこで,私は,先生と対等じゃない気分になる。私はわかんないのに,でも先生はわかる,と,対等じゃない気がするんですよね,どう思いますか。  M: うんうんうん,ちょっと,だから,もし,タイ人の先生がいなかったら,先生一人,先生はもっともっと努力,説明する努力がもっと出てくると思いますね。  K :うん,そうですね,タイ語でね。S 中高校の生徒たちの思いを想像しつつも,それでも,それがどうしても「わたし」には84早稲田日本語教育実践研究 第5号/2017/75―92

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