早稲田日本語教育実践研究 第5号
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 マリ先生の「怒る仕事?」という言葉からもわかるように,「わたし」の質問の意図がマリ先生には伝わっていないように思える。「わたし」はタイ語が話せないから,生徒を注意して授業に集中させることができないと思っていた。だから,それはタイ語が話せるマリ先生がやってくれてもいいのではないかと思っており,その気持ちをわかってほしかった。そして,「わたし」の望み通りにやってほしいという思いが強かった。しかし,それは「わたし」にとってだけ都合のいい話で,マリ先生はその思いに応えてはくれなかった。6-1-3.いろいろな日本人と一緒に教えることで学ぶことがあったはず マリ先生はこの 5 年間で,「わたし」以外に 5 人の日本人教師と一緒に日本語を教えてきた。その経験からマリ先生は必ず何かを学んでいるはずだと「わたし」は考え,そのような語りを期待していた。  K : この時を振り返ってもらって,えっと,日本人の先生がどうのこうのじゃなくて,先生が,過去を,始めた時とか,じゃあ,先生が変わったらどうだったとか,先生が,マリ先生がどういうふうに思ったか,とか,どういう風に教えたかとか,気持ちがどう変わったかとか,そういうことが知りたいんですけど,なんか,こう,時間的に話してもらえますか。  M: そうですね。今まで,6 人の日本人の先生ですね。うーん,毎年,毎年,新しい日本人が来て,また,いろいろ,気分が変わるんですね。  K : 誰の気分?  M: 私。だから,教科書のことも,教えることも,生徒も,先生たちにも紹介ね。いろいろ始め,ゼロからまた始まるんですね,新しい先生が来ると。だから,本当に私の考えは,もし,日本人が一人だけ,ずーっと何年も教えてくれた方が,生徒にとっては続けることができますね,その教え方は。もし,新しいの来ると,また,新しい先生がどういう風に教えるか,また,私も勉強しなければならないですね。いろいろ付き合って,慣れるまで時間がかかるんですね。 このように,マリ先生はよく考えれば当然のことを言っているのだが,一緒に教える先生が変わることで何か学びがあるはずだ,それによってマリ先生が変わっているはずだと思い込んでいる「わたし」は,自分の期待通りの答えが聞きたくて,もう一度聞いている。  K : その時に先生が何か感じたこととかないですか。例えば,M 先生(筆者の前任者)がいた時には私はこういうふうに思っていて,じゃあ,「わたし」(筆者)が来た時にはこういう風に思っていて,で,Y 先生(筆者の後任者)の時には,なんか,前はこう思ってたけど,こういう風に思うようになったとか,だから私はこういうふうに変えたとか,そういうことはないですか。なんか,人が変わったことによって,先生が変わったこと?あと,人が変わっただけじゃなくて,年が82早稲田日本語教育実践研究 第5号/2017/75―92

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