早稲田日本語教育実践研究 第5号
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指すのか疑問に思った。そこで,次のように続けた。  K : そうですよね,確かに,見ないとわからないですもんね。その前に,例えば,話の段階では,どういうことをやらなきゃいけないとか,どういうことをするという話はあったんですか。  M: 教えるのに?  K : そうそう,なんか,ただ教えてくださいだけ?  M: そうですね。その時は,B 先生も 1 年しかいないということになってて,W 先生(当時のタイ人教師)もあんまり,自分教えるのが自信がなくて,きっと私は,修士課程卒業した人ですから,上手だと思われてるんじゃないかと思いますね。だから,お願いします,お願いしますと。  K : だから,何がどう,どういうふうにとかじゃなくて。  M: そう,とにかく,教えてください。教科書はこういう教科書使ってますから,M42)はあきこ 1,2,M5 は 3,4,M6 はあれで,それぐらいで。 この後,マリ先生は当時の日本人教師が作ったプリントを渡されたという。それからマリ先生は,新学期が始まるまでの 2,3 か月で準備をしたと言った。「わたし」だったら,ただ「教えてください」と言われても,何をしたらいいのか全くわからないのではないかと思い,聞いてみた。  K : 何をしたんですか。  M: だから,B 先生の教えたことを,どういう風に教えているかと,その教科書見て,あー,こういうことですね,だいたい,読めばわかりますね。でも,説明し方はまだやったことないし,そこまでは練習できませんね。ただ,内容はこれくらい,なるほどと。 ここでようやく,マリ先生が何を「できる」と思ったのかがわかる。しかし,「わたし」が日本語を教える時は,まず,どうやって教えたらいいか時間をかけて考え,教案を書き,授業に使う教材を作るという準備が必ず必要である。しかし,がんばって準備をしても授業がうまくいかないことも多々ある。だから,やっぱり「わたし」はマリ先生のことがさっぱり理解できなかった。ここで「わたし」は自分のそれまでの日本での経験にとらわれており,マリ先生をそこに当てはめようとしていた。6-1-2.クラスコントロールはタイ人教師がするべき マリ先生が授業中にタイ語で説明してしまうことを嫌い,自分一人で授業をしたいと思っていたにも関わらず,「わたし」は,「わたし」はタイ語が話せないが,タイ人の先生はタイ語が話せるのだからと,タイ人教師に対してある期待をしていた。そして,そのことをマリ先生がどう思っているか訊ねた。80早稲田日本語教育実践研究 第5号/2017/75―92

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