早稲田日本語教育実践研究 第5号
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トーリー研究では,聞き手も日本語教育実践者であるため,語り手が気づいていない経験の関連づけを行うことにより,新たな語りを生む可能性があるとし,また,その新たな語りの意味づけは聞き手にとっても,新しい発見となるとしている。つまり,語り手にとっても聞き手にとっても「予想していなかった経験の意味づけを生み出す」のであり,それは「認識の変容のみならず,その後の実践の変容,さらに課題の生成の可能性にもつながる」(p.32)と述べている。要するに,ライフストーリー・インタビューによって聞き手も語り手も自身の経験の振り返りができ,また,インタビューという対話により,自分一人で行う振り返りでは起こり得ない新たな意味が生まれるということだ。 横溝(2006),飯野(2010, 2015)を踏まえ,本研究では筆者が一緒に実践を行い,実践がやりにくいと感じた非母語話者日本語教師マリ先生へのライフストーリー・インタビューを筆者とマリ先生との実践改善のための振り返りの一方法として捉える。つまり,インタビューの聞き手である筆者がインタビューすることで自身の実践を振り返り,それを意味づけることにより,その実践でタイ人教師マリ先生との実践がなぜうまくいかなかったのかを明らかにすることができ,どうしたらよいのかという新たな課題の生成にもつながると考える。 第 1 章の問題意識から,筆者は,海外における現地の非母語話者日本語教師とともに行った日本語教育実践がうまくいかないと感じたのはなぜかを明らかにしたいと考え,実践をともにしていたマリ先生にライフストーリー・インタビューを行った。そして,そのインタビューのやり取りを通して,聞き手である筆者が,マリ先生と 2 人で行った自分自身の実践を振り返り,そこに潜んでいた「日本語非母語話者」「日本語母語話者」という違いに収斂されない,授業のやりにくさの要因を明らかにする。そのうえで,海外における非母語話者日本語教師と母語話者日本語教師の実践改善のための振り返りに必要な視点を考察することが本研究の目的である。 本研究では,タイ国 A 県にある S 中高校でパートタイムとして働くタイ人日本語教師マリ先生(仮名)にライフストーリー・インタビューを行った。インタビューは,2011年 8 月と 9 月に計 6 回,1 回およそ 1 時間半程度,マリ先生が一番落ち着いて話しやすい場所であるというマリ先生の自宅で行った。5-1.S 中高校とタイ人日本語教師マリ先生 本節では,マリ先生と筆者がともに日本語教育実践を行っていた S 中高校についてと,マリ先生について簡単に述べる。在に至るまで,タイ人教師と日本人教師が 2 人で教室に入って,一緒に日本語を教える体77髙井かおり/実践改善のための振り返りを「せめぎあい」の場にするために4.研究の目的5.調査概要 S 中高校では 2004 年度に高校にのみ日本語専攻クラスが開設され,その次の年から現

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