早稲田日本語教育実践研究 第5号
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 筆者がタイ人日本語教師マリ先生(仮名)と一緒に行う日本語教育実践をうまくいかないと感じたのは,筆者とマリ先生の日本語教育に関する価値観が違うからではないかと仮定した。そして,「日本語非母語話者」「日本語母語話者」という違いに収斂されない授業のやりにくさの要因を明らかにするためには,まずは「タイ人」だからではなく,「マリ先生」が日本語を教えることをどのように捉えているのか,そして,なぜそのように考えるのかを理解することが必要だと考えた。そこで,マリ先生を理解するためには,マリ先生が今までどのように周りの人々と関わり,どのように考え,どのように生きてきたのかを知ることが必要であると考え,ライフストーリー・インタビューを行った。 しかし,実際にインタビューをしてみると,それまで知らなかったマリ先生の生い立ちや学生生活,日本での留学生活の話は思いがけず共感し理解できることが多かった。その反面,日本語教育実践に関わる話については,インタビュー後に何とも言えない不快感が残った。マリ先生が語った日本語教育実践に関わる話の多くは筆者と一緒に行っていた実践であり,筆者の実践でもあった。つまり,その部分については「インタビュー」という形ではあったが,マリ先生と筆者がともに行っていた実践について 2 人で話し合ったということだ。つまり,2 人の実践改善のための振り返りであったと言える。したがって,このインタビュー時の不快感は,実践の振り返り時や実践時の不快感でもあり,それが実践のやりにくさだったのではないかと考えた。そこで,本研究ではマリ先生のライフストーリー自体ではなく,インタビュー時のやり取りから筆者自身の発言に注目し,自分自身の日本語教育実践をさらに振り返り意味づけることとした。 1990 年代後半,日本語教育において「教師トレーニング」という考え方は「教師の自己成長」へと変わり「自己研修型教師」「内省的実践家」が目指されるようになった。それは,岡崎・岡崎(1997)では「他の人が作成したシラバスや教授法をうのみにし,そのまま適用していくような受け身的な存在ではなく,自分自身で自分の学習者に合った教材や教室活動を創造していく能動的な存在」(p.15)だとしている。そして,多くの日本語教師は日々自ら教育実践を計画,実行し,それを振り返り検討し,改善することを繰り返し自ら成長することを目指している。日々の自分の授業の振り返りだけでなく,「ティーチング・ポートフォリオ」や「アクション・リサーチ」と呼ばれる方法もある。また,横溝(2006)は教師の成長には「自己理解」と「自己受容」が重要であると述べ,そのためにはライフヒストリー研究が有効であるとしている。そして,教師教育現場への応用を考え,「教師自身が,自らのこれまでの生い立ちを自分のことばで書きとめたものを,自分で分析することにより,「自己理解」「自己受容」を深めていく方法」(p.167)を提案している。一方,飯野(2010, 2015)では,ライフストーリー・インタビューを,語り手と聞き手が語りの場でともに成長していくものであると捉え,語りの場の相互作用に注目している。飯野(2010)は,語り手も聞き手も日本語教育実践者である日本語教師のライフス76早稲田日本語教育実践研究 第5号/2017/75―922.ライフストーリー・インタビュー3.実践の振り返りとライフストーリー・インタビューの関係

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