早稲田日本語教育実践研究 第5号
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2早稲田日本語教育実践研究 第5号/2017/1―2  その風俗を含めてパノラミックに描こうとするロマン,すなわち長編を日本語で書くために彼女が作り出した小説言語である。つまりそこに盛ろうとする料理のためにこしらえたお皿や器である。折角の料理も食器がそれに見合っていなければ台無しになれば,逆に器が料理を引き立てることもある。彼女の長編小説は,この器,すなわち文章もまたたっぷり堪能できるようになっているのだ。 といった文芸批評は横に置き,ぼくとしてはこの中の冷素麺の描写に注目したい。白焼きの鯛や錦糸玉子,椎茸も思わず喉が鳴るが,パラリとした口あたりの冷素麺がたまらない。素麺をゆでた人ならわかるが,あっというまにゆですぎてしまう素麺を「パラリ」とした食感を残しながら,つゆに浸してやわらかくなる分を残して火を止め冷水で締めるのがどんなにむずかしいことか。 野上弥生子は間違いなくそういう逸品の冷素麺を食べていたに違いない。そしてこういう冷素麺を毎日食卓に上げてくる文明の素晴らしさと有難さを知っていた筈だ。またそれを表現することができる日本語の可能性も含めて。(しのだ とおる,早稲田大学社会科学総合学術院)

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