1 留学センター所長 篠田 徹【巻頭エッセイ】早稲田日本語教育実践研究 第 5 号 ずっと長編小説が読めなかった。子供の頃から伝記やドキュメントは好きだったが,なぜか小説がだめだった。短編小説でさえ,新潮文庫の『モーパッサン短編集』を小学生の頃に読んだっきり,ずっとご無沙汰だった。そういう自分は,どこか感覚がおかしいのではないかと思っていたが,まあそのうちと思って,大人になってもほうっておいた。 このまま小説嫌いで死ぬのはきっと後悔すると思い始めたのは,齢五十を過ぎてから。たまたま妻が読んでいた浅田次郎の短編集を読んでみたら,あら不思議。面白いように読めるではないか。さすが浅田次郎で,気がついたら彼の長い作品も堪能できるようになり,頁をくるのももどかしいという,小説好きの得意の言い回しはこのことかと,何か自分が人並みの人間だったことが感じられて嬉しくなった。自転車が乗れるようになると,遠出をしたくなるように,しばらくして長編小説のクラシックが読みたくなった。死んだ父親が,野上弥生子の『迷路』を絶賛していたのを思い出し,恐る恐る読み始めてみたら,これが面白いではないか。後半になると読み終わるのが惜しくなり,わざと読むのを遅くしたり,読まずに何日か我慢したりするほどだった。 『迷路』は何がいいか。例えばこれはどうだ。「伯父と甥は,そこも同じ籐の敷物と,明けはなたれた簾戸で,谷の方から風通しのよい茶の間に移った。まん中に据えた,旧幕時代の長崎ものらしく,シッポク台の名で今も呼ばれる朱塗りの部厚な円卓には,披露のあった鯛素麺が現れていた。料理としては簡単で,白焼きした大鯛を平鉢に載せ,周囲を冷素麺で波の風情にかこむだけながら,つけ合わせの錦糸玉子や,椎茸や,せん切りの青味が,うねうねの窪みに色取りを添えて,見た眼もなかなか美しいが,大切なのは素麺のゆで加減と,つゆであった。いつも半病人の嘉助はなんでも多くは食べない代り,味にはむずかしい。伯母も庖丁はたしかで,わけてもこの家の冷素麺のパラリとした口あたりと,薄□にわさびを利かしたつゆの旨さは,藍手の縁のもりあがった平鉢が,料理にふさわしく波の総模様になっているのを,底に隠れていても知っているように,省三も知っていた。」 『迷路』の文章は,言葉も含めて標準的な日本語ではない。実際,上の文章をパソコンで打った時,なかなか一発で変換できない。これは,ある時代のある社会の文明の行方を日本語を味わう
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