早稲田日本語教育実践研究 第5号
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早稲田日本語教育実践研究 第5号/2017/21―37 相違点や類似点がよく理解されるようになり,そのために学習者同士がよい友だちになって,クラスの雰囲気がよくなることが多いと述べている。本稿でも,お互いの作文を読み合ったが,そうすることにより,川口(2008)のクラスと同様の傾向が現れたと考えられる。 次に,レベルⅣの自己開示についてだが,本稿では,該当するものは,見られなかった。唯一分析者間で意見が分かれたのが,以下の作文であった。●「日本にきたばかりのとき」日本へ来たばかりの時,日本の若い人は英語が話せるはずだったのに,日本人の寮生はあまり英語が上手ではありません。それから,私は一生けんめい日本語を勉強しているのに⑥まだペラペラ(に)日本語が話せません。日本へ来たばかりの時,ほかの国の人と友達になるはずだったのに,毎日中国人と一緒に遊んでいますから,ほかのクラスメートとあまり話しません。日本へ来たばかりの時,友だちとたくさん旅行するはずだったのに,宿題もたくさんあるし,授業も難しいし,時間がありません。 この作文は,下線部⑥から,「日本語がペラペラになる」ということを目標達成に掲げていると思われるが,レベルⅣの (4) 「能力不足が原因で,目標が達成できなかった経験」に該当するかどうかで,能力不足が原因であるかどうかを判断するのに,分析者間で,意見が分かれた。「このレベルの自己開示は,それによって開示者は修復不可能なほど否定的に認識され,これまで構築してきた 2 者間の親密な関係性が脅かされる危険性をはらむ(丹羽・丸野 2010:199)」と述べている。下線⑥はそこまでではないということで該当しないとした。 親しい相手に対しては自己弁護的方略だけでなく「相手を傷つけたくない」という相手を弁護する気持ちも同時に働き,開示者は両者の間で揺れ動き,深層的な自己開示を行うか,あえて表層的な自己開示に留めておくか,意思決定をしなければならない(丹羽・丸野 2010:200)。その結果「趣味などの表層的な自己開示の必要性がすでになくなっている親しい友だちに対して,今なおそれを行う背後には,相手との関係性が親密であるがゆえに,本当は深層的な自己を開示したいが,相手に心理的な負担をかけないようにしようという配慮の気持ちが動いて,そのような深層的な自己開示を抑制し(丹羽・丸野 2012:207)」たため,このクラスで,レベルⅣの自己開示は見られなかったと推測される。 また,レベルⅣが,全く見られなかった要因として,日本語能力との関係について考察する。日本語能力に関しては初級後半(『みんなの日本語Ⅱ』で学習中)のレベルであり,実際レベルⅢの例でも「むしがころしました」という簡単な日本語で書いてはいるが,深い自己開示が現れていると判断しており,辞書を引きながらではあるが,思ったことはある程度は書けると判断する。したがって深い自己開示を現すのに日本語能力が初級であることはさほど関係がないと考えられる。しかし,これは本稿のみの結果であり,初級前半のレベルではどうであるか,テーマの影響はどの程度あるのかなど,本稿の結果を初級レベルの結果として,一般化するには様々な要因を考慮しなくてはならない。したがって,そのような要因について,さらなる検証が必要であると考える。34

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