早稲田日本語教育実践研究 第5号
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多賀三江子/初級日本語クラスでの「個人化作文」における自己開示の深さの分析 206)は述べている。レベルⅡの自己開示は,もうすでに親しくなっているこのクラスの中では,あまり見られなかった。この部分も,自慢話ではなく,ただうれしかった事実を話しているだけのようにも感じられる。レベルⅢ例●「子どものとき」こどもの時はむしがきらいでした。いま私もまだきらいです。⑤そのときは,毎日ともだちと一緒にむしがころしました。いま私はやさしひとです。むしがもまだきらいです。でもころしませんね。 下線部分⑤は,レベルⅢ「決定的ではない欠点や弱点」の (4) 「ある経験を通して『自分は少しダメだな』と思ったこと」に該当する。 丹羽・丸野(2010:198)によると,このレベルの自己開示は,自分がどんな人間であるかを直接的に相手に伝えていることになり,この段階での望ましくない程度は,それを知ることによって開示者に対する評価が決定づけられるほど重要なものではなく,たとえ一時的に開示者に対する評価が下がった場合でも,開示者がそれについて後から言い訳をしたり,あるいは,それを補える自分の肯定的側面を強調したりすることで,開示者に対する否定的認識の修復が可能となると述べている。「虫を殺した」ということは,あまりいいことではない,自分はダメだなと思っているが,「殺してしまった」経験を,今はやさしいひとになったから殺さないとそのあとで言い訳をつけたしている。これを書いたことにより,読む人に不快な感情を与えるかもしれないと思い,書いた後,否定的認識の修復をしていると推測される。レベルⅢの作文で,このように自分の欠点や弱点を書いたあと,それを修復する作文は他の作文にも見られた。自分でもよくないとわかっていることは,そのあとの修復部分からもうかがえるが,親友といるような雰囲気が醸し出されたクラスだからこそ,あえて表出することができたと考えられる。 丹羽・丸野(2010)では,初対面の人に対しては,レベルⅡがⅢに比べてより多く開示されていたが,親しい友だちに対しては,レベルⅡよりもⅢの開示がより多く行われていた。武田・前田・徳岡・石田(2012)でも親友に対する自己開示では,レベルⅢがⅡより多いという結果であった。本稿でも,レベルⅢがⅡよりも多いという結果が得られた。丹羽・丸野(2010:206)は,苦労話(レベルⅡ)は,開示者について,すでにある程度知っている相手には,嫌味に感じられるのかもしれない。そうであれば,苦労話を繰り返すことで,自分に対する相手の好意評価は下げられ,親密な関係づくりは難しくなる。それよりそれほど深刻ではないが,開示者の性格特性の未熟な部分を直接さらけだすことで(レベルⅢの自己開示),相手に自分のことをより知ってもらい,さらなる関係性への発展につなげることができるだろうと述べている。このクラスでは,15 週間という長い期間,週 3 日一緒に授業を受けていた結果,初対面の人に対する自己開示の現れ方よりも,親しい友人に対しての自己開示の現れ方と同じ傾向を示していると考えられる。これは,クラスに,親しい友人と過ごしているような「支持的風土」が作られていたことに起因すると推察される。川口(2008:18)は,「個人化作文」を読んで発表させることで,お互いの33

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