早稲田日本語教育実践研究 第5号
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関係のないことだ。そのような単純明快な理屈に、私は怒られるまで気が付かなかったのである。□現地への渡航後も予期せぬ問題が相次いだ。そもそも悪天候のため入国が一日遅れ、またスケジュール非常に密度が濃く、現地でやる予定だった仕上げの準備は徹夜で行うことになった。連日タスクに忙殺され、異国での慣れない住環境も相まって、体調を崩したり、思うようにパフォーマンスを発揮できないメンバーがいたりという状態が続いた。自分も例外ではなく、日々大学とホテルを往復し、夜は遅くまで話し合いや小道具の準備、リハーサルが続いたことで、徐々に精神面において摩耗が進んでいった。加えて、自分が関心のあったフィリピン社会の実情を知る機会が希薄だったことから、自分の独断でスラムや夜の市街を見学しに行くこともあった。しかしながら、そのような己の覚悟の甘さを、チームメートは看過しなかった。再び叱責され、私はようやく二週間を日本語教育、ただ一点に捧げる決意を固めることができたのである。役立つ専門性はなくとも、自分にできることを徹底的にやること、そして何よりチームや派遣先の大学に迷惑をかけないこと。それが自分にできる最大限と認め、謙虚に泥臭く行動した。幸いにして、いくつか詰めの甘い点はあったものの、満足のいく授業を行うことができ、生徒たちも大いにそれを楽しんでくれた。特に授業内のスキットや、書道・バレンタイン・日本文化をテーマにしたイベントは対象となっていた日本語専攻の生徒以外の注目も集め、期待以上の成果をあげることができた。自分にとって初めての経験である、授業内容を一から考え、異なる国籍の学生に教育を提供することを通じ、精神面・能力面で成長を遂げることができた。□SEND プログラムを終えて数カ月後、私は思ってもいない形で SEND を通じて出会った現地の仲間たちと活動を共にすることとなる。それは 2014 年の 6 月、MIS という国際NGO のフィリピン支部設立を私が支援・主導したことに端を発する。当時私は、TOTO水基金という NGO でインターン生として働いていた。ある日、職場の先輩から「とある国際 NGO がフィリピンにコネクションのある人を探しているのだけれど、池田君協力してあげてくれないか」というお話を伺ったのである。私は彼の依頼を快諾し、再び彼の国を訪れることとなった。私が行ったことは 2 つある。まず、デ・ラ・サール大学と MISのメンバー間を繋げる、橋渡しの役割。そして、現地に足がかりを作り、継続的な活動を□□ プログラム中の叱責と決意□5. □□□□ を終えて~□□□ へと続く道~ 235年度報告

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