210早稲田日本語教育実践研究 第5号/2017/199―260 (べるなでっと S. ひえいだ, デ・ラ・サール大学国際研究学部) 心地の悪さを感じました。 しかし、この経験で、すべてのフィリピン人がフィリピン語を教えることができるものではないという現実に気付きました。私はフィリピン語を話すことができますが、教室で教えることはできません。この点、ネイティブであっても、日本語教師ではない早稲田の学生も同じことです。 本プログラムを通じて、私は教師としての自分の長所と短所を再発見することができました。私が授業の準備をするとき、自分がノンネイティブとして日本語を学んだ経験をもとに、授業にアイデアや戦略を組み入れようとします。たとえば、ある文型を説明する際に、私はそれを(私たちがフィリピンで一般に使う)フィリピン語または英語と比較することでしょう。(さらに特定の状況を示すことで)学生は、単に教科書の説明だけに頼るのではなく、その使い方について、よりよく理解するようになるのです。私は、外国人日本語教師として出席した教師トレーニングプログラムで学んだことを彼らに伝えることができたのです。たとえば、フラッシュカードの持ち方、写真パネルの見せ方、パワーポイントの各スライドに含めるべきもの、活動における指示の出し方、例の示し方などです。 早稲田の学生は課題の授業を自力で準備しましたが、何度か相談の場を持ちました。私は、活動、パワーポイント、時間管理、クラス管理、学生とのやり取りに関して彼らにアドバイスしました。デモ授業の後には、彼らの長所と短所に関してフィードバックもしました。彼らの全員が将来日本語教師になりたいと思っているのではないことは理解していますが、さまざまな人と交流し、プレゼンすることは、彼らがどの道に進むにせよ、とても大切なことだと思います。この種の経験が彼らにとって将来役立つことを願います。 もちろん、早稲田の学生には、長所があります。それは特に彼らのインタラクティブな教授法であり、私どもの学生が最も楽しんだことです。これは、私の指導に関して気付かされたことでもあります。教師として私たちは、大学で従うべきカリキュラムに縛られています。毎学期のタイトなスケジュールに、時にインタラクティブな楽しい授業をすることを怠り、所定の課を終わらせることに精一杯になることがあります。学生が、さまざまな活動でどれほど日本語を理解するようになるかを見ると、楽しめる面白い環境を作る良い方法を見つけたいという気が起こります。 SEND プログラムに従事することは実のところ教師として追加的な仕事です。本学において日本語を教えているのは私たち2名だけです。私たちは早稲田の学生とだけではなく私どもの学生と相談と準備のための追加の時間を持つことが必要です。また所定のテーマが早稲田の学生に合うように授業を調整する必要もあります。 しかし、これらのことは、教育技術向上の刺激となり教師としての私の助けになること、それ以上に、私どもの学生が祖国にいながら日本を経験できることと比べるとほんの些細なことです。彼らが日本を好きになるように、または交換プログラムに応募するように私が刺激する必要はありません。それらはすでに彼らがこのプログラムに登録してきた理由だからです。しかし、彼らの学びの旅路をより意義深いものにするのは、このプログラム自体の強みだと私は考えます。意義深いと言うのは、私どもの学生が、別の言語を学ぶことで、さらに素晴らしい友情を築くことができること、また将来の職業での強みとすることができることを正しく認識するようになるからです。
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