早稲田日本語教育実践研究 第5号
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 自分の子どもに自分の名前をミドルネームとして付けるという家の伝統を守っていきたいと考えている。自分は日本人であると考えながらも,脈々と引き継がれてきた父方の血統や文化を肯定的に捉えていることも窺える。G: はい,好きです。G: 自分で言うのもなんなんっすけど,かっこよくていいかな,と。違うんで,やっぱり人と。[カナダ姓](父方の祖父がフランス系カナダ人であるため,フランスの姓)なんてまずないじゃないっすか。 「日本人」だと思っているが,みんなと同じでありたいと思っているわけではない。「まずない,人と違う」[カナダ名][カナダ姓]を「かっこよくていい」と思っている。 日本と日本以外の国で名前を使い分けているのは B のみであることがわかった。B はブラジルで育ち,ブラジル人であるという意識がはっきりしている。現在,日本へ日本のことをもっと知るためにやってきて,日本のルーツを示すもうひとつの名前[日本名]を使用している。それは新たな自分を発見するための新たな名前であるといえよう。他の 6名は,愛着のある 1 つの名前をどこへ行っても使用している。[日本名]を使用している語った。一方,[カナダ名]を使用している G は,自分は「日本人」であると言いきっている。彼らにおいては,2 つ,あるいはそれ以上のルーツが自分の中で混然一体となっているため,名前を使い分けるのは困難であろう。「どこへ行っても自分は自分」という意識と,どこへ行っても呼ばれる自分の名前とが結び付いているのだといえよう。 社会生活においては,名前や外見といった,見てすぐわかる要素から出自を判断されることが多い。A,C,F,G に共通して,生い立ちについて語る際,「アジア人」と口にしている。外見から「アジア人」と見られることにより,アジアへの帰属意識が生じ,結果として日本へと辿り着いている様子が窺える。 アイデンティティを「自分が思うことと他者が思うことによって形成される意識」(川上 2010),あるいは「自己と他者との関係という社会的関係の中に立ち現れる『自分らしさ』」(相浦 2013)と考えると,E(仮名マサキ)の「友人がマスミ(仮名)っていって,英語で Mas。僕も昔 Mas だった。だから,Saki と Sumi になりました。」というエピソードは,まさに社会的関係の中で自己と他者を区別する役割を果たすのが名前であり,その意味で名前がアイデンティティと深く結び付いていることを示すものである。他でもない自分が呼ばれているという感覚,それは社会の中での自己の固有性を意識させ,またその固有な自己が社会に受け入れられているという感覚を生む。 本インタビューの調査協力者たちは,幼い頃より,日本を含む 2 つあるいはそれ以上のI : 自分の名前は好きですか?I : 日本人じゃないみたいじゃない,名前は。でも別にそれはいいのね?5.まとめと考察F は「アメリカ人でもなく日本人でもなくドイツ人でもなくシンガポール人でもなく」と111上田潤子/名前とアイデンティティ

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