上田潤子/名前とアイデンティティ C: フランス人と結婚したらたぶんフランスに帰りますけど,でもまだわかりません。日本人だったら(笑)。 将来的にどこに落ち着くかはまだいろいろな可能性があると考えている。フランス人の両親との出会いによってフランス人のアイデンティティが築かれ,今後の出会いによってまた新たなアイデンティティが築かれていくのかもしれない。4-4.調査協力者 D へのインタビュー 母はアメリカで生まれ育った日系二世,父は幼いとき渡米したフィリピン人である。苗字はフィリピンの苗字である。両親はアメリカで結婚し,同じ会社で二人同時に日本へ転勤となった。10 年ほど日本で暮らしている間に D が生まれた。D が 3 歳のとき,アメリカへ戻った。家の中にフィリピンや日本の文化はなかったという。父はタガログ語が話せず,母も日本語が話せない。[日本名]というミドルネームがあるが,普段は全然使っていない。自分は日本で生まれたが,小さいときでちゃんと経験できなかったから,もっと日本が知りたいと思ったという。■もっと日本人になりたいD: 家族で日本に旅行したとき,あたしはすごく日本のことが好きになりました。(中略)日本はみんなすごく優しいと思いました。で,マナーとかよくて,すごくきれいな国だと思いました。D: 日本の文化とか理解したい。で,本当の日本人のライフスタイルを経験したい。ないけど。D: あたし,高校 3 年生のとき 2 週間ぐらいホームステイしました。日本に。でもすごく時間がなかったので。あたし,日本人のハーフだからね,日本人になりたい,という意識があります。そういう希望があって,ここに 4 年間住んでいるから,もっと日本人になりたい。D: はい。今は国際寮に住んでいるので,留学生とか多いから,引っ越ししてからもっと日本人の経験ができるようになりたい。 「あたし,日本人のハーフだからね」という D は,日本人の血が入っていることに特別な価値を見出している。日本人になる権利,あるいは日本人になる使命を感じているようである。「本当の日本人のライフスタイルを経験したい」,そして「もっと日本人になりたい」という。3 歳までしかいなかったとはいえ,生まれたのが日本であるため,故郷のように感じてきたのかもしれない。I : これから 4 年ぐらい日本にいるんでしょ?これからどんなことをしたい?I : そうね。でも寮に住んでるからね。もしホームステイとかしたらわかるかもしれI : そういう感じがあるんだ。101
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