早稲田日本語教育実践研究 第5号
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ようになったようである。その後,高校生になると「だんだんアイデンティティのことを考えはじめて,なんかそういう複雑な時期が」あった。現在はそんな時期も乗り越え,「今は,あたしは両方日本人とオーストラリア人,です。」ときっぱり述べた。その根拠として「血」と「家族」を挙げている。■名前へのこだわりあるでしょ?でもそれは全然使ってないのね?A: そうなんです。それがちょっとおもしろくて,あたし家族からも,とにかくみんなから[オーストラリア名の短縮形]って呼ばれてるんです。あたしの日本人の家族もみんな[オーストラリア名の短縮形]って言って,[日本名]っていう名前はもう持ってないみたいなんで,呼ばれたら絶対反応しないんですけど。幼稚園の頃は[日本名]でしたね。A: [日本名]ちゃんって言われてました。で,オーストラリアに来て,母と父がやっぱり日本語の名前は呼びづらいから,英語の名前持ってるからそれで呼んでもらえばいいじゃないって言われて。 名前についてのエピソードは,名前がアイデンティティと密接な関係にあることを物語っている。日本の幼稚園に通っていたときは「[日本名]ちゃん」と呼ばれていたが,オーストラリアへ行ってからは[オーストラリア名の短縮形]とみんなに呼ばれている。[日本名]については,現在は「呼ばれたら絶対反応しない」というほど自分とは結び付かなくなっている。思っている。A: [オーストラリア名]は嫌いな人に呼ばれてます。嫌いな先生とかに[オーストラリア名短縮形]とか呼んでいいですかって言われたら,いいえって。A: はいはい。 [オーストラリア名の短縮形]への愛着は,「嫌いな人」には呼ばせない,という態度まで生じさせている。I : クラスで[オーストラリア名]って言ってるじゃない?[日本名]という名前もI : あ,そうなんだ。I : 自分の意識としては[オーストラリア名]とか[オーストラリア名短縮形]とI : (笑)なんで?ちょっと距離を置いた感じ?I : でも,普通は[オーストラリア名短縮形]って。96早稲田日本語教育実践研究 第5号/2017/93―112

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