早稲田日本語教育実践研究 第4号
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1) 『日本の論点』は2012年に『文藝春秋オピニオン○○○○年の論点100』に改訂された。注 早稲田日本語教育実践研究 第4号/2016/77―78(くまだ みちこ,早稲田大学日本語教育研究センター)者は多い。また,筆者の意見と同じだと述べる参加者は多いが,個々に同意見の理由を挙げていく中で,「同じ」と言っても根拠や視点が異なることに「気づく」参加者も多い。そのような過程を経て,参加者は筆者との距離を保ち,客観的に文章を読むことに慣れていく。2-2.自国の問題に対する論文を読むことから,生まれてくる批判的思考筆者の意見に追随的な読みを行い,批判的な読みができない参加者が,論文に対して批判的な意見を述べ始めるのは,自国についての論文を読むことがきっかけであることが多い。自国が他国の筆者からどう捉えられているのかを読み,参加者にとっての現実(自国について当然だと思っていたこと)との落差を感じることで,書かれていることは,鵜呑みにするべきものではないことを認識し,筆者の意見を批判的に捉えるようになる。次の段階として,筆者に反論するためには,どこがどのように自分の意見や事実と異なっているのかということを冷静に考えることが必要になることに「気づく」。そして,他の参加者(他の読み手)に,自分にとっての事実と論文との隔たりを納得してもらうためには,精緻に読み,他者を説得できる客観性をもって語ることの必要性に「気づく」。書かれているものの持つ権威性に対抗するためには,自らの語ることが説得力を持つことが重要になるからである。このような過程を通して,書かれているものへの権威から自由になり,批判的に読む素地,部分部分を精査しながら読む素地,客観性を持って語ることの素地ができ,発信への基礎が作られていく。2-3.「同じ」から「個」への変化発信の際,「○○人は」という意見に対し,「いや違う」と述べる同国の他者の存在があり,しばしば激しい議論が起きる。その中で,参加者たちは「私がそうだと思っていることは私固有のもの」であり,他者の理解と「同じ」ではないことに「気づく」。振り返りシートでは,「○○国の人が何名もいるが,同じ事に対する常識が違うことが興味深かった」といったコメントがあった。議論を聞いている他の学生にとっても,個々人の認識の共有部分と異なり部分の存在を学ぶ体験ができる。そこから,参加者それぞれが,自分の背景を背負って読んでいることに「気づき」,「私の国では」といった同一性を捨て,「私の意見では,私の考えでは,私の経験では」と,教室の中で「個」として発信できるようになったことに,発見を覚えていた。以上,参加者の「気づき」に基づく変化の一部を紹介した。参考文献『日本の論点』文藝春秋『文藝春秋オピニオン○○○○年の論点100』文藝春秋78

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