黒田一雄/留学生の「窓」としての日本語教育国際部長 黒田一雄早稲田日本語教育実践研究 第4号 私は20年前に米国ニューヨーク州北西部のイサカという小さな町にあるコーネル大学という大学で博士号を取得した。イサカはまさにMiddle of Nowhereとコーネルの学生が自嘲的に言うほど田舎なので,米国への出張のついでに寄れるような場所ではなく,卒業以来,私も3度しか訪れていない。しかし,その訪問の度にお目にかかるのは,私の指導教授と,Deborah Campbellという英語の先生だ。博士課程に進学したときに,私は既に米国の大学の修士課程を終えていたのだが,英語がどうしても上達せず,コースワークについていくことも,博士論文執筆にも大きな不安を抱えていた。そのような私を支えてくれたのがDeborahだった。(彼女は,大学院の学生には,自分のことをファーストネームで呼ぶように言ってくれた。)私は彼女のEnglish Academic Writingのクラスを何度も履修し,論文執筆の指導を受けた。そして,そうした専門から離れて履修したクラスで,他分野の多くの留学生と知り合い,Deborahから英語による論理の構成やその背景にある考え方まで,留学生仲間と共に学ぶことによって,英語の壁をなんとか乗り越えることができた。今,自分がアジア太平洋研究科で,多くの留学生を指導するようになって,彼らの言語教育を考える際の,私の原体験である。コーネルでは,1年契約の奨学金・授業料免除頼みの貧しい大学院生だったので,翌年の確実な収入を確保するために,日本語教育のTAになるためのサマーコースを履修したことがあった。結局,大学からの奨学金は何とか継続され,日本語のTAを務めることはなかったのだが,実際の米国人学生を対象にした日本語教育を実践しながらの研修では,母国語といえど(いやだからこそ)日本語を外国人に教えることがいかに難しいものであるかを,実感することとなった。米国人の学部生の,文法や言い回しに関して次から次へと繰り返される質問に,私は十分に対応することができなかった。しかし,外国人に日本語教育を通じて,日本や日本人の考え方を伝えることの可能性についても気づかせてくれた。これが,第二の原体験かもしれない。もう一つのもっと古い原体験は,米国留学前の私が早稲田の学部生だったころのことである。私は学部の2年から4年までアジア文化会館というアジアからの留学生や研修生の【巻頭エッセイ】1留学生の「窓」としての日本語教育
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