1古谷修一/言葉を学ぶとき,人は必ず「夢」を持っている教務部長 古谷修一早稲田日本語教育実践研究 第3号 すでに20年近くも前になるが,在外研究でオランダのユトレヒト市に1年間滞在したことがある。在留手続のためにBureau New-Comersという機関を訪ねた際,冒頭に「あなたには,オランダ語を無料で学ぶ権利がある」と伝えられ,驚かされた。私の研究分野は国際刑事法で,国連がオランダに設置した旧ユーゴ国際刑事裁判所の研究をするための滞在である。裁判所は英語・フランス語が使用言語,受け入れ先のユトレヒト大学の研究所でも英語だけで仕事は十分にできる。オランダの社会や文化に関心があって滞在しているわけではないから,それまでオランダ語を学んだことはなかったし,滞在中に学ぶ必要もないと考えていた。「オランダ語を学ぶつもりはありません」と答える私。驚いた様子で「なぜですか?」と尋ねる面接の担当者。私は事情を丁寧に説明するが,それでもオランダ語を学んだ方が良いとしきりに言われ,根負けした私は結局オランダ語のクラスに通うことになった。授業に行ってみると,なぜ「無料で学ぶ権利がある」と言われたのかが分かった。このオランダ語クラスは,移民としてオランダに定住することを希望する人々が,オランダ社会に溶け込むことを支援するために設置されていたのである。受講者の国籍や背景は千差万別だが,その多くが北アフリカや中東地域の出身者である。彼らと席を並べて,まさしくオランダ語のABCから学んだ。お世辞にも語学学習者として優秀とは言えないが,その真剣さと熱心さには驚いた。休み時間に片言の英語やフランス語で同じクラスの人たちと話をすると,誰もがオランダ語を学んで,家族と共にこの国で幸せに暮らすのだという希望に満ちていた。そして,教師の人たちもまた,彼らの希望を叶える重要な仕事をしているという誇りを持っていた。おそらく日常の生活問題まで相談されることが多いだろうと思われたが,彼ら・彼女らが実に献身的に,そしてプロ意識をもって受講生に接していることにも大いに感銘を受けた。約2か月間の入門オランダ語のクラスが終わったところで,研究活動が忙しくなり,上級のクラスを受講することは断念したが,私にとって,この機会は語学学習の意味を考え直す良い機会となった。【巻頭エッセイ】言葉を学ぶとき,人は必ず「夢」を持っている
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