41川上郁雄/複言語で育つ大学生のことばとアイデンティティを考える授業実践それらの学生も含めた受講生が,複言語体験を語るライフストーリーを読み,またクラスメイトの経験を聞き,ともに議論をすることは,複言語で成長することに気づくだけでなく,自分自身のことばの学びについて考えることになる。そして,複言語体験を振り返り,それらの体験が自分にとってどのような意味があったのかを考えて,意味づける作業は,受講生にとって新鮮な体験であったと思われる。言語教育において言語自体を学ぶことが最大の目標になるかもしれないが,実はこのコースで使用したテキストに登場する複言語話者の語りの中には自分の複言語能力について多様な自己評価があった。たとえば,一青妙さんは自らの中国語能力を封印し,大学生になって再度,学び直した経験を語った。またブラジルから来た響彬斗さんは,ポルトガル語は自分にとって「お話をさせていただくための一つの手段」であり,日本語は「生きるための言葉」という。人の複言語には動態性があり,自分にとっての複言語の意味づけも人それぞれであることがわかる。そのように,複言語能力も自分にとっての意味づけも多様であることを学ぶことは,学生にとって極めて重要であろう。つまり,幼少期より複数言語環境で成長する人にとって,自分自身の複言語体験を振り返る作業は,自己の表象の仕方やアイデンティティ形成を考えることにつながり,そのうえで,日本語を含む複言語は自分にとって何なのか,また,それらを抱えてどう生きるのかを考えることにつながるという意味で,複言語と向き合う自己の確立が極めて重要なテーマとして浮かび上がる。このことは,日本で日本人の両親のもとに生まれ日本語で成長してきた,いわゆる単言語環境で成長した学生にとっても,これらの複言語体験のある受講生の経験談やテキストのライフストーリーは,極めて重要である。なぜなら,これらの学生は,このコースの中で,自分自身や自分の家族のことば,地域語や方言なども含めた,ことばの体験を振り返ることになるからである。受講生の中には,「この授業を受け始めた頃は,自分は単言語環境で育ったので複言語体験のある人が羨ましい」といった発言をする学生もいるが,複言語環境でのさまざまな課題や経験を知るようになると,人にとってことばとは何かを考えたり,これまで学んできた外国語学習とは自分にとってどのような意味があるのかを考えることにもなる。また,単言語で育ってきたという自己理解が,方言を含む多様な言語に触れた経験が自分を形成していることに気づき,「あらゆる個人は複言語使用者なのだ」(西山,2010)という認識に至ることもあるからである。つまり,一人ひとりにとって,自分の言語能力や言語生活と向き合うことになるのだ。その意味で,このクラスに多様な背景を持つ学生が参加することが望ましく,またそのことにより,多様な学びが生まれることが期待されるだろう。始めに述べたように,このような言語使用者が自らの言語と向き合う教育的実践はヨーロッパなどで言語バイオグラフィや言語ポートレートの実践としてすでに広く行われているが,本稿で述べた実践はそれらとはやや異なるアプローチをとっていることも最後に述べておきたい。それは,この科目の始めから受講生が自分の言語バイオグラフィや言語ポートレートを作成することはしていない点である。むしろ,テキストにある他者の語りを読み,考え,クラスメイトとさまざまな角度から検討し,同時に,クラスメイトの複言語体験を聞いたり,あるいは自ら語ったりしながら,徐々に自らのことばに向き合う姿勢
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