早稲田日本語教育実践研究 第3号
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39川上郁雄/複言語で育つ大学生のことばとアイデンティティを考える授業実践respect しなければならないという言葉が「ハーフ」としてのアイデンティティに悩方の視点をうまく自分の中に融合させている」という感想を述べることがある。そのため,コウケンテツさんが決してアイデンティティ・クライシスに陥らない,バランスのとれたアイデンティティを構築している点に受講生が注目し,その点がよく議論された。アンナさんのコメントにも,同様のことが印象的であったことが窺える。さらに,第3ステージで,フィフィさんの章を読むと,アンナさんは次のように考察している。「国際結婚」という言葉は死語になるでしょうか。「国際結婚」の正式な定義は国籍が異なる人が結婚することですが,今,一般的に使われる文脈を考えると,「国籍が違うように見える人達が結婚すること」という意味があると思います。日本人は今だに「白人=外人=日本語が分からない」と考えている印象があります。」アンナさんが国際結婚に言及しているのは,自分自身の両親のことも含め,さらに,自分自身が日本で生活するようになって感じる,他者からのまなざしへの考察があるからであろう。フィフィさんは,フィフィさんがテレビに出演するようになったとき,「日本語があまり話せない外国人」を演じるようにテレビ局の人から言われたことを例に,日本にいる外国人は日本人からのまなざしに常にさらされていることを話していた。そのまなざしには日本人が思う「外国人のステレオタイプ」といったものが含まれているというフィフィさんの指摘に対して,受講生の中には自分の経験と合わせて支持する意見を表明する人もいた。アンナさんが「白人=外人=日本語が分からない」と考えている印象があると述べているのは,フィフィさんの語りから触発されたアンナさん自身の気づきなのかもしれない。そのアンナさんが,第4ステージで,ゲストとして来てくださった俳優の川平慈英さんの語りを聞いて,次のように書いている。川平さんは,父親が沖縄出身の日本人,母親がアメリカ人という家庭で,沖縄で幼少期を過ごした方である。1970年代の沖縄で,国際結婚家庭が珍しい時代に,差別的な言葉もかけられたが,沖縄から東京へ引っ越すと,今度は,家庭で英語を話すことや「ハーフ」であることなどが友だちの中では羨望のまなざしで見られたという話をしてくださった。「川平さんのお話のなかで特に印象深かったのは「ハーフ」としてのアイデンティティの問題をどのように乗り越えたかです。沖縄では「ハーフ」はネガティブなイメージがあったところ,70年代の東京ではポジティブなイメージがあったことは当時の川平さんとって大きなショックだったと想像できます。」さらに,「川平さんへメッセージを送りましょう」という課題に対して,アンナさんは次のような文章を書いた。「“You are who you are”.そして自分は何人かあまり深く考えず,そのままの自分をんでいる私にとってとても衝撃的でした。」ここで初めてアンナさんは「ハーフ」である自身への思いを吐露している。つまり,このコースの始めの段階では,クラス内に多様な背景を持つ受講生がいることに興味を持っていたが,次第に,ことばとアイデンティティ,そして「ハーフ」としてどう生きるかと

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