早稲田日本語教育実践研究 第3号
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38早稲田日本語教育実践研究 第3号/2015/33―42トシートに,アンナさんは「授業の皆さんの言語習得,「移動」をした経験などを聞き,複数の言語を学ぶ子供の問題についてもっと深く考えるようになりました。」と記している。第1ステージで読んだセイン カミュさんの章では,アンナさんは以下のような感想をコメントシートに残している。「セイン カミュさんのなかでは「話す言葉」と「書く言葉」が区別されていることが印象に残りました。言し言葉,書き言葉,そして身ぶり,手ぶりもそれぞれ違うコミュニケーションの手段だと考えているようで―自分はこのように考えたことがなかったので印象深かったです。」(原文ママ,以下同様)アンナさんは,華恵さんの章(第1ステージ)を読んで,次のように書いている。「オーストラリアと日本の「ハーフ」としてこの授業に来るまで「ダブル」という言葉が存在すると知りませんでした。私自身は何らかのイメージ(ステレオタイプ)を持って「ハーフ」と言われるのが嫌です。「ハーフ」と呼ばれるのには抵抗がありません。しかし,「ハーフ」だと言って,「うそ,日本人の皿が入っているようには見えない。日本人らしくない」と言われると,自分にとって大事な日本の部分が否定されるような感じになってしまいます。」このように,アンナさんは第1ステージで多様な学生が受講していることや国際結婚した親を持つ子どもとしての意識やアイデンティティについて気づくようになっていた。また,友達から「日本人の血が入っているように見えない」と言われるのは,アンナさんが金髪で色白の女性だからであろう。前述のように,第1ステージはライフストーリーを読むことに慣れることをねらいとしている。また,クラス内の小グループ,そしてクラス全体で毎回ディスカッションが行われている。ディスカッションでは,各章のライフストーリーを読んだ感想や気づきを共有する。そのディスカッションの中で,受講生の中には同じような経験を持っている人がいて,自分の経験を語る場合もある。そのことから,受講生はこのクラスの中にたくさんの「移動する」経験のある学生がいることに気づき,さらに,議論に興味を抱き,熱心に参加するようになる。上記のアンナさんが自分の経験を書いているのは,そのようなクラスのディスカッションの発言と無縁ではないと思われる。そのアンナさんが,第2ステージで読んだコウケンテツさんの章で,次のように書いている。「コウケンテツさんは自分の立場を非常にポジティブ見ていること,在日コリアンであることに対して不安がなく,社会の目を気にして純粋な「コリアン」か「日本人」になろうとしないこと→なぜ,このようにポジティブに考えるのか→アイデンティティ。授業のディスカッションで特に印象深かったのは文化,言語とアイデンティティの問題です。」このように,アンナさんはコウケンテツさんの生き方に強い印象を抱いており,言語とアイデンティティに興味関心が次第に移っている様子が見える。両親が在日コリアンであるコウケンテツさんのライフストーリーを読むと,受講生はよく,「コウケンテツさんは自分の立ち位置を客観的に捉え,「コリアン」と「日本人」の両

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