注 田所希佳子/「会話者意識」を用いた意識化促進のためのコミュニケーション教育6.結論意味があったといえる。また,「昔私いつも「るるるる」使います。」というように,普通体を主に使ってきたが,指摘を受けて来なかった理由として,「日本人たぶんね心優しいですから。だからね,私そんな言ったら向こうの方きついかなー。」という,周囲の人の自分への配慮と,「たぶん年のせいかもしれないかな。」という年齢に言及している。王は47歳で博士3年生であり,周囲の人が年下の場合が多いため,普通体を使うことが容認されていたのだろう。日常生活で周囲の人の寛容さに甘えていた王に対し,本授業が,それを乗り越えるきっかけを作ったといえる。5―4―3.丁寧体を使用したい自分のスピーチレベル使用に関しては,丁寧体を使うようにしたいと述べている。「昔たぶんね,自分が外国人ですから間違った日本語をしゃべったら向こうもそんな気にしてない,外国人ですから。でもね,何かこれを勉強してやっぱり丁寧の方がよい。」という。「もし私はね,台湾で大人の方ですから,でも今はねたぶん2歳3歳くらいの子供。」というように,普通体ばかりを使っていると子供のように見られてしまう,年相応の日本語を話したいという理由から,丁寧体で丁寧に話したいという意識を持つようになったといえる。授業を受ける前は,無意識に普通体を使い,自分がどのように見られているかは考えたこともなかった。しかし,授業を受けたことにより,スピーチレベルを意識するようになり,本当に見せたい自分とのずれに気づき,意識の変容をもたらしたのである。以上のように,学習者たちは映像教材によって会話者がどのような意識でスピーチレベルを選択し,相手のスピーチレベルを理解しているのかを客観的に知り,さらにそれに対する考えをクラスメイトと共有したことにより,日常生活におけるスピーチレベルの意識化を促進させることができた。教室外では知ることの難しい「会話者意識」を可視化し,考える機会を作ったことには意義があるといえる。1.で述べたように,従来,会話教育においては,個別性や多様性を重要視せず,単純化された一般的な事項を教えるような傾向があった。しかし,コミュニケーションというものは,自分がどのように相手を捉え,自分をどのように表現するかという主観的且つ個別的で複雑な要素が関わっているため,教育においてもそのような要素を含む必要がある。むしろそのようなものこそ,学習者に主体的に考えさせるために必要なのではないか。「会話者意識」を活用することにより,学習者がより主観的,個別的に考える機会を与えることができたといえる。今後は,本授業実践の欠点や限界を含め,学習者の学びをさらに詳しく分析し,意識化促進のためのコミュニケーション教育について考えを深めていきたい。1) 塩谷(2003)はビジターセッション,イマーションプログラム,ホームステイ,プロジェクトワークなど,教室活動の一部に教室外の「生」の日本語を取り入れた実践を「学習者の解放」と総称している。77
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