早稲田日本語教育実践研究 第1号
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●71かなめ筆者の場合,さらに,教室内の活動で学習者が前に出てプレゼン等を行う際,学習者のサークル内の空席に座るよう心掛けている。そうすることで,教師が,プレゼン等の聴衆のひとりとして,学習者と同等の位置にあることを示すためである。こうして,教師は,学習者ひとりひとりが個性を発揮するのを,時にオーケストラの指揮者さながら調和させ,あるいは学習者の中に入って学習活動のファシリテーターを務めるのである。いっぽう,Dörnyei, Z. & T. Murphey(2003)は,教師がセミサークルの要的役割を担うことで,コミュニケーションの中心になってしまうことを危惧している。そこで,グループの自律性をより強化するために,教師が折を見て半円を閉じ,円状の座席配置になるよう配慮すべきだと,Dörnyei, Z. & T. Murpheyは提案している。この場合,教師がサークルの中の一員となることで,学習者の視界からはリーダー的な姿が消え,学習者同士の自律性によりまかせることができるというのである。あるいは,別の選択肢として,教師がサークルの外に出てしまい,学習者だけのサークルにして円を閉じるということも可能であると筆者は考える。実際,筆者の経験では,少人数の学習者を教室の隅に集め,壁に貼った世界地図を見ながら立ち話風にしたところ,偶然,学習者だけのサークル形状となり,日本語による対話が学習者同士でよく発展したことがあった。立ち話にしろ,サークル状の座席配置にしろ,学習者の対話サークルの中に教師が埋没するか,またはサークルの外に出てしまい,学習活動を学習者の自律性にすべてまかせるか,学習者の習熟度や自律性の度合い,またクラスの編成や学習内容に照らし合わせ,教師がよく判断することが必要となる。その他にも,渦巻き型とも言える座席配置が成功した例として,体育館のように広い部屋の中央に,教師がまず自分の椅子を置き,後から来た学習者が次々と教師を取り囲む形で着席した事例が挙げられている(Dörnyei, Z. & T. Murphey 2003)。これは当初,授業開始時に学生が数人しかいなかったものが,遅れて来た学生が自分で椅子を持って来て,教師を取り囲む形で次々と何重もの円を作ったものである。早く来た学生も遅れて来た学生にわずらわされることなく,また適度な間隔を置いて活動にも支障なく,教師からも全員がよく見渡せ,最終的に40人を超える学生を,少人数の教室と同様に運営できたと報告されている。このような事例は,偶然の産物とはいえ,前述の立ち話の事例と同様に,現実の環境と文脈に合わせ,学習者が自らの学習環境を柔軟にデザインしたとも言えるのではないだろうか。さらに,Dörnyei, Z. & T. Murpheyは,できるだけ多くの者と近接させ,相互の接触を増やし,インターアクションの機会を多く与え,互いをよく知るために,教室内の席替えを頻繁に行うことを勧めている。席順やペアワークの組み合わせやグループワークの編成を頻繁に変えることは,筆者の北米における教育経験から言っても,ラポール構築に非常に効果的であった。これまで,日本的な習慣や発想から,学習者が一定のグループやペアの顔ぶれによくなじめば良好な関係に発展すると思われがちだったのではないだろうか。また,そのために学習者のグループメンバーを固定し,その狭い人間関係の中でラポールが構築されることを期待しがちだったのではないだろうか。これは逆で,頻繁に相手を変え,日本語を学ぶといった共通のゴールを通して,クラスメート全員をよく知ることが大切なのである。そうすることで,学習者は,人間の多様性と同時に共通性に気づくという受容の初期段階を経,そこから,さらに共同体の一員としての意識も芽生えることになる。このように,早期にラポールを構築するためには,学習者が多くの相手と接触し,互いをよく知る機会を多く与えることが重要になる。こうして,異文化間コミュニケーションの端緒が開かれ,こ的位置に立ちリーダー泉水康子/支持的教室風土をめざしてエッセイ&インタビュー/エッセイ

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