●70かなめ通性や異質性等の情報が無理なく素早く察知できる。さらに,学習者同士互いの位置が近接しているので,真後ろなど体を不自然に向けて対峙することがなく,比較的リラックスした体勢で初対面同士会話を始めることができる。さらに,学習者は,セミサークルのそれぞれの席から教室全体を見渡すことができるので,教師に従属することなく,自身の属する学習コミュニティの全体像を常に把握していられる。こうして,情報不足からくる学習者の不安や緊張を減じるだけでなく,より短時間でラポール構築が可能になり,共同体としての意識も生まれやすくなる。ちなみに,筆者は,1990年代前半から十年ほど,北米の複数の公立大学で,コミュニカティブ・アプローチによる日本語教育に携わったが,いずれのクラスでも,セミサークルの座席配置を標準型としていたと記憶する。これはいずれも,6〜7名から15名前後の少人数クラスで,グループワークやペアワークのために学習者が移動しやすいというだけでなく,学習者同士,互いに顔や表情がよく見え,名前も憶えやすく,互いをよりよく知り合うことができるようにという配慮からであった。これには,また,アメリカの公立大学における特殊事情,たとえば,標準的な机や椅子が軽くて移動しやすいデザインであったこと,また,教室に座席配置を容易に変えられる充分なスペースがあったこと,さらに,机配置の移動は教員の創意にまかせられ自由だったことなども寄与している。フィッツジェラルド(2010)は,会話にラポールが存在している証拠として,「笑いの多さ」や「ユーモアのネタの豊富さ」を挙げているが,筆者の経験では,アメリカの大学のセミサークルに配置された日本語教室で,コースの初日からラポールが構築され,笑い声の多いユーモアのあるなごやかな雰囲気となるのはめずらしいことではなかった。また,とくに興味深かったのは,北米のいずれのクラスにおいても,ラポールが強化されるにしたがい,学習者の外観も変容してくることである。学期当初はおざなりな格好をしていた学習者が,日を追うにつれ,服装の配色や流行に気を配り始め,アクセサリーを身に着けるなど,目に見えておしゃれになってくるのである。教室内におけるこういったおしゃれの兆候も,あるいは互いが可視化された座席配置から生じるポジティブなインターアクションの一部とも思われ,学習者の自尊心や他者への興味の高まりの表れであり,ラポールが存在している,または存在し始めた証左とも言えるのではないだろうか。また,このセミサークルの扇の要均等な距離を保つことができ,いずれの学習者とも一対一の緊張感を持続させたまま,学習者と一律にやりとりができる。心理学的観点から,一般教室内におけるラポール構築を論じたのは佐竹(2003)であるが,佐竹は,生徒が教師に安心して助けを求められるような信頼関係を築くためには,教師が生徒に「被尊重感」「好感」「安心感」「被受容感」を与えるような行動をとる必要があると言う。前述したように,旧来の座席配置では,教師のアテンションが学習者の位置により異なってしまうため不平等感がぬぐえないが,セミサークルの場合,教師から受けるアテンションは平等になり,いずれの学習者に対しても対等に「被尊重感」「好感」「安心感」「被受容感」を受けさせることも可能となる。また,セミサークルの座席配置の場合,教師が従来の教壇から下り,あるいは大きな教卓から離れることを意味する。それまで大きな教卓や教壇で守られていた教師のオーソリティとしての体面は,それらが取り払われることで失せ,学習者の側からは教師からの威圧が減じ,教師にとっては学習者と対等な位置へと近づくことになる。また,教師と学習者は,同一平面上に立ち,一対一で向き合う形となるため,相互に対等感が生まれ,さらに教師が学習者ひとりひとりと近接することで,互いの人間性も察知しやすくなり,ラポール構築に効果的である。的な位置に教師が立つことで,教師は学習者ひとりひとりから早稲田日本語教育実践研究 第1号/2013/65-73
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